オープンソースの感覚はポリコレとかヴィーガンみたいに輸入されない感じなのか

yukioterasawa
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伽藍とバザールとかよく目にしてたのが最近な気がするのは老化してきただけで今で言えばフリーレンみたいな感覚なんだろうけど、何を思ったかOSSの最新情報はdiscordで入手するのが重要だからdiscord使ってないエンジニアは二流みたいな、はいはいどうかずっと一流ですね!って褒められ続ける人生をお送りください、みたいなのがちょっと話題になった。そんなわけあるかよっていう。

オープンソースはまあ色々あるとしてもその性質としてできる限りオープンであるべきで、Linuxカーネルの話だってキャッチアップしようと思えば誰でもできる。そこまでの経緯だとか発言者の背景だとかそもそもの言語だったりとか、まぁ色々障壁はあるかもだけど。まちがってもクローズドコミュニティではやってない。そこが良いところじゃないですか、という部分はなんでか日本じゃ重要視されない。欧米じゃ女性の権利がとか、二酸化炭素がとか、そういうのと同じような文脈で広く公開された状態で開発はするべき、という感覚は導入されないし、そういう感覚がない人は二流とかドヤる人もいない。

昔、オープンソース関連の有名人が日本に来て講演した時、質疑応答の時間は全然だったのに終わってから個人的な質問しに来る人ばっかりで、おいなんだこれ、わかってんのか?ってゲキオコだったって話あったと思うんだけど、嘘記憶なんだろうか。フリーレンとかもそういう感覚あるんだろうか。ググってもなかなか出てこないけど、何だっけ?

自分は五流くらいな開発者だったりするから過去ログの恩恵にあずかるばっかりでなんにも貢献できてなくてすんまへんって気持ちだけど、メインがロシア語なプラグインとか使ったプロジェクトを引き継いだ時は、泣くしかありませんでした。バグ見つけたけどどうして良いか分からなかったのでスクラッチで作り直しました。