前回の記事への感想レター、ありがとうございました!嬉しいお言葉に思わずスクショするという気持ち悪さを発揮してます。お返事とかどうすればいいのかしらとオロオロしながらこちらに感謝を詰め込んでおきます。ありがとうございます。散りつつある桜も楽しめますように。
週末はアクティブに過ごした。そして、振り返ってみても「いい感じ」に過ごせたと思う。
具体的には「極端に我慢せず自分らしくいて、負の感情が出ても否定せず受け止め、でも家族にぶつけるのではなく自分自身で感情を咀嚼し、身体的疲労は睡眠やストレッチで対応した結果、ネガティブすぎない精神状態を保てた感じ」かな。ネガティブに振り切る時間を減らせたからとても心地が良かった。こういう風に起伏が少ない状態をスタンダードにしたいね。
よく『世界が不寛容に感じるのは自分が不寛容だから』みたいな言葉を見聞きするけど、正直以前はほとんどピンと来てなかった。でも「ああ、これか」と反省することが多い今日この頃である。
基本的に、自分のやること全てに文句を言われるんじゃないかと怯えている日々だ。だから「直接文句は言われなかったけど言葉の端々が私を攻撃していた」と勝手に捉えて思い込んで自分を責めてた。完全に被害妄想である。そうやって自分の粗探しをしていると、自然と「さっきのあの人の行動、おかしくない?」って他人の粗探しも上手くなって、他人の粗探しが上手くなると自分の粗探しも更に上手くなって、どんどんどんどん自分の悪いところばかり見えるし責めるしどうしようもなくなって爆発→今に至るみたいなところある。
被害妄想なのは自覚してたけど、休職直前は特に自責が酷くてにっちもさっちもいかなかったんだ。今は「病んでたな〜」って俯瞰できる。ただ怖いのが、今は仕事がないから俯瞰できるんであって仕事を再開したら同じように被害妄想が激しくなるんじゃないかってこと。負のスパイラルは自覚したから大丈夫だと思いたいけど、仕事に家事に育児にってやってたらとにかくゆっくり考える暇もセルフケアする暇もないから不安。せめて、休職前より被害妄想を弱らせたい。
ちなみに被害妄想の被害者は当然と言うべきか夫だったりする。一番関わり合いも多いし、子どものことで何かを決定したり選択するのは基本的に私だから「どうせ彼も私が決めたことに呆れてるんだ」みたいな被害妄想は正直よくある。それが積もり積もって「自分は何も決めないくせに!」と、ある時爆発するのである。夫は何も言ってないしむしろ何も考えてないということが多いというのに。夫からしてみればマジで「何もしてないのに急に当たられた」で可哀想。ほんとすんません。
『言われていないことを捏造しない』がまずスタートラインだなと今更ながら思う。まぁでもどこでブチ切れるか分からないし、ブチ切れた意味も分からないような母親に育てられたのでこういう思考になってしまうのも仕方がないことだとは思ってる。母親とのコミュニケーションをベースに他人とコミュニケーションをとるのはやめようと改めて思った。自戒を込めて、こんな恥だらけの日記だって書いちゃうもんね。いつかまたダメになったとき振り返ってくれよな、自分。
ブルスカにちょっと呟いたけど、ぬいぐるみを買いに行きたい。そういえば昔可愛がっていたぬいぐるみはいつ捨てたんだろうと記憶を辿ってみたら、母親に馬鹿にされて捨てたような記憶があってたまらなくなった。あの頃、怒りも寂しさも悲しみも全部そっくりそのまま受け止めてくれてたあの子たちに会いたいな。そしてもてなしてあげたい。三十路も超えて恥ずかしいのは重々承知だけど、そうやってあの頃の私も救ってあげたいんだ。インナーチャイルドケアの一環にもなるかもしれないね。わかんないけど、やりたいからやることにした。
どこへ探しに行こうかな。楽しみだな。