この指は私の指

皆目
·
公開:2024/7/27

ここ数日、メンタルの調子がいい理由を考えてみる。

トラウマ治療について色々調べてると、よく「解離」という言葉が出てくる。私の印象では「別人格」という言葉に置き換えられるくらい大変な症状という感じだったんだけど、どうやら軽い(という表現が適切かは定かではないけど)解離というものもあるらしい。まぁどの分野の症状も程度の差はあるわけで、そう考えると私にも「解離」とやらが当てはまることがあるのでは?と調べていったら、なんかやっぱり当てはまる気がしてきた。

端的にいえば、自分の人生を生きてる感じがない。常に、まさに今レールの上を走ってるトロッコに乗せられているような感覚がある。何をしてても。特に鏡を見ると「あれ……私ってこうなの?変な感じ」ってよくなるんだけど、どうやらこういうのも解離らしい。らしいというのはもちろん診断されていないからで、自己診断するのは危険ではあるというのも理解してはいる。ただ、これが解離であるとするならばこの常に漫然と生きているような感覚、めちゃくちゃ納得できるんだよな。他人事というか、他人の人生っぽい感じが、ずっとあるんだよな。

正直、かなり嫌な言い方だけど第三者から見たら私はめちゃくちゃ幸せな人だと思う。そこそこの容姿、そこそこの学力、そこそこのコミュ力、優しい夫、可愛い子どもたち、その他諸々。学生時代の私が思い描いては「私がそんな幸せになれるはずがない」と諦めていた図そのものであるとも言える。なのに、その幸せを享受できないというか心から感じることができない感覚がずっとあって、それにずっと悩んでる。この幸せを享受できないっておかしいだろって頭の中でずっと思ってる。幸せなのに、何でこんなに虚しいんだろうってそれが悲しくて一日中泣いたこともある。馬鹿みたいだと思う。

だから、最近は全部「自分事」として考えるようにしてみた。ご飯を食べるのも、スキンケアをするのも、育児も、家事も、全部「私のこと」として意識してみた。何だかこれが合ってて、今まで本当に漫然と流されるまま、あるいは強制されてる思いでやっていたことに「私はちゃんとここにいるやん……何故今まで気づかなかったのか……」って思えて驚く。で、「これは、ちゃんと私のことだ。誰のものでもなく私の幸せだ」と思えるようになってきた。例え幸せじゃないことでも「辛いことだけど、それも私のことだ。そんなこと、今までたくさん乗り越えてきた。その記憶がちゃんとある。だから大丈夫かも」とか思えるようになってきた。

我ながら圧倒的進歩ではないか……!!?!?

あと最近「自分のことを考えすぎると責める方向にしかいかないから、ほどほどにする」を覚えてきた。これは絶対にそう。どんなメンタルでもそう。ほどほどにした方が自分のためになるし結果的に周りのためになる。私は自分のことを考えすぎない方がいい。

なんか「自分事と捉える」と「自分のことを考えすぎない」は矛盾しているように思えるけど、要は前者は自分軸で後者は他人軸なんだと思う。休職をしてから開き直りが上手くなってきたから、自分を大事にすることが周りを大事にすることに繋がるんだよ精神も身についてきた。今まで自分を蔑ろにして他人のケアだとかおせっかいに忙しかったけど、結果こうやって休職してるのでそのルートはちょっともうやめようかなって心持ちです。

こうやって自分なりに言語化できたことが殊更嬉しい。またメンタルが落ちたらこんな気持ちになれないかもしれないので残しておきたい。

私よ、来週あたりにメンタル落ちたとしても大丈夫だよ、どうせ浮上するし自分を責めることで上手くいった試しはないよ、寝るか映画見るかノート書くか運動するかして頭からっぽにしなよ、んで、メンタル落ちてもそれも「私」で「自分事」だから避けなくていいし逃げなくていい、悲しかったら悲しいでいい、その感情を感じ切って、また明日に繋げていこう。ここに書いてきた日記たちを見てごらん、同じようなこといっぱい書いてるから!そして読み返したら多分こう思うよ、「せやせや、私はこうでしか生きられないんだった!また忘れてたわ!寝よ寝よ!」ってね!じゃ、おやすみ!

@yukkuri
皆目検討もつかんのよ