自分のコミュニケーションについて考える

皆目
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永田カビさんの『膵臓がこわれたら、少し生きやすくなりました。』を読み直した。終盤コミュニケーション不全について言及されているのだけれど最近の私に刺さりすぎてウウッてなった。

自分の気持ちを表現できない。伝えられない。そんな自分でずっと生きてきたと思う。

それでも私の外側ではそつなくコミュニケーションが回っていて、だからこそ内側で生まれる心の不協和音みたいなのをずっと抱えているような気がする。

「本当はこう思ってたのに」「こう言いたかったのに」「また言えなかった」「またこうなった」

そういう抑圧に加えて「こう思ってはいけなかったんだ」「私がおかしかったんだ」という感情の抑圧までしてしまうのでどんどんコミュニケーションが疎かになって、上っ面のコミュニケーションが上手くなっていった。

でもそれって私なりに私を守ってきた結果だよなとも思う。

いろんな事情があってそうでしか生きられなかった。今となってはどうかなって思うけど、その時はそれで自分を守っていた。そんな自分を蔑ろにしてしまったらまたキツくなってしまうんだと思う。

今は、それに気づけたことを褒めよう。んで、今更自分の気持ちを素直に伝えるコミュニケーション😆なんてできる気もしないけど、ちょっとずつ意識しようと思った。

私はちゃんと色々考えてるよ。ちゃんと自分の感情を分かってるよ。誰にも委ねてはいけないし、誰にも批判されたくない。

毎日毎日いろんなことを考えて、落ち込んで、また上がって、みたいなままならない日々だけど、私は私として今日も頑張って生きましたよ。

というわけで、その証拠を今日もしずかに書きました。おやすみなさい。

ちなみに:永田カビさんの作品が大好きで、全作読んでる。内面の言語化とそれを漫画に落とし込む表現力と画力が本当にすごいと改めて思った。経験をコミックエッセイにすることでご本人が辛い思いを抱いている面もあるのだけれど、私は描いてくれて本当に嬉しい。ありがとうございます。

@yukkuri
皆目検討もつかんのよ