結局「自分を評価せずそのまま受け止める」ができてないという話。
「私はこういうところがあるから治さなきゃ」とか「ここを気をつけなきゃ」とかそういう、一見向上心にも見えるこの台詞が地味ーに私を傷つけてくる毎日である。これらの台詞のお尻には(じゃないと認められない)という思いがあって、とにかくこれがしつこい。幸せに生きる覚悟を決めても「私は幸せに生きるぞ!(じゃないと認められない)」っていうのがついてきてるの気がする。こわいこわい。ごめんね、おうち帰ってもらってもいいかな。
こう、言葉で整理するのが好きだから自分なりに色々解釈してみるけど結局壁にぶち当たってまた同じように解釈してしばらくしてまた壁にぶち当たって……みたいなことを繰り返してる。そろそろこのサイクルも飽きてきたね。「またかい」「抜け出してもどうせまた壁が出てくるんですよね知ってます」みたいな。私はこういうところあるからなーって諦めみたいなものに近い。
壁にぶち当たるととにかく『そんな自分が本当に嫌い』になって結果ドツボにハマるんだよな。これまでの人生その繰り返し。サビです。で、ようやっとこのサビに飽きてきたんだけどそしたら「ちょっと待て。じゃあ違うルートをいけばいいのでは?」と気づいてしまったのです。やっと。今更。『そんな自分が本当に嫌い』ルートと違うルートを開拓してみるかって。
私は私を、私の人生をきちんと愛している。これは断言できる。けど、そうやって愛しつつ常日頃自己否定はするという変に器用なこともしている。例えば「今日も頑張ったからちょっとお菓子食べよう!(だから痩せないんだよな。一生痩せられないんだろうな。恥ずかしいやつだよな)」みたいな。常に派生してダブスタの勢いで自己否定をする。だから、今まではサラッと流してたこの()のサビに向き合うことが新規ルートに繋がるのではと考えた。
これはね、休職してる今だからできることだと思う。余裕があるから自分の思考にきちんと向き合えてるのである。「また自己否定してるやん〜もう〜〜〜」ってなることの方が多いけど「待て!そこも含めて私だ!流すな!愛してるよ!」みたいなノリでやってる。自分でもアホだとは思うけど、そうすると正直少し落ち着く。「ああ、私は私でいいんだった」って。自己否定しても、ミスをしても、疲れても、イライラしても、上手く喋れなくても、お金を無駄遣いしても、何度ドツボにハマっても、私は私でいい。変わらなきゃいけないことなんてない。改善できたらもちろん素晴らしいことだけど、今の私はこの私でしかないから、受け止める。しゃーない人間かもね、でも愛してるよ。
ダメな自分を受け止める作業は正直しんどい。でも、今までそれができてなくて「ちゃんとしなきゃ」って臭いものに蓋をするように自分を抑えつけてたから、それはもうやめる。だってそれをし続けた結果がコレだもん。休職して、職場にも夫にも迷惑をかけてる。その事実も、今は少しずつ受け止めてる。本当にしんどい。でもしんどいという気持ちも受け止めるようにしてる。もう全部を包括して愛でくるむ!みたいなイメージ(抽象的すぎる)
私は、誰にも迷惑をかけない人になりたかったんだと思う。そのために頑張ってきてたけど、無理が祟った。ダメな自分を受け止めきれなかったからだ。受け止めてたら「ここで立ち止まろう」とかできたかもしれない。いやわからんけど。少なくとも、ダメな自分をも認められてたらここまで苦しくはなかっただろうな。
この向き合う作業がいい方向に行くかは分からない。自信がない。私の認知の歪みはなかなか酷いからまたドツボにハマるかもしれないけど、でもそれも受け止めようと思う。他人の評価に依存するとまた同じことが起きるから「頑張らなきゃ」「認められなきゃ」はもうやめる。そうじゃなくて、できなくても「今はここまでの自分」であって「ここまでは頑張れた自分」でもあるから、それをただ受け止める。評価はしない。してもプラスの評価がいいな。頑張った事実はあるよ!ケーキを食べるに値する!って。
死ぬまで付き合う自分自身なんだから、最高の自分でいたい。そっちの方が楽だもん。そこに辿り着くまでもがくぞ、私は。見苦しくても恥ずかしくても、もがくぞ。それが私だ。どうにか頑張って嘘をつくように誤魔化した自分でいるより、よっぽど楽しくて素敵で幸せなはずだ。
もう少し頑張ろうな、私!