思いがけず、高速を運転する。

ちゃいむ
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お正月三が日は、実に楽しい3日間であった。

元旦は施設入所中の義母を囲んで、子どもと孫、家族が集まってホテルの個室で食事会。部屋の関係で全員ではなかったが、和やかな雰囲気の中、食事も美味しくいい会だったと思う。義母も楽しんでくれたようだった。

2日から3日にかけては、自分の実家へ妹一家と集まった。妹は猫を連れてきており、いきなりみんなのアイドルへ(しかし初めての旅でデリケートなので大方が塩対応)。本当はここに実母が加わるはずだったが、年末に転倒骨折して入院中。おしゃべりもトランプ大会もとても盛り上がり、笑いすぎて苦しいほどだったから、来年はぜひ実母も混ざってほしい。

その帰り道である。子どもたちを送り届けて帰路についたのだが、最初のPA(SAは混むのであまり行かない)で、運転手である相方の様子がどうもおかしい。

「……熱っぽいかも」

えええええ! まさか!

幸いコンビニのあるPAだったため、大枚(1600円)をはたいて体温計を買った。すると、なんと38度を超えているではないか。あかん。運転代われ。

実を言うと、高速道路を運転するのは「3年以上」ぶりだ。これについて話すと大変長くなるので端折るが、要は過去にメンタル的な理由で運転ができなくなり、それを少しずつ慣らしながら、街乗りぐらいはできる程度になんとか回復はしていた。そもそもの原因が高速運転中に気分が悪くなったことなので、なかなかその先に進むことができないでいたところに、まさかの!「自分しか運転できる人がいない」状態に!(そりゃそうだふたりだもん)

こういうシチュエーションだからこそ、心が奮い立ったのかもしれない。あるいは、非常事態で心がいっぱいになり、不安が顔を出さずにすんだか。とにもかくにもドキドキだったが無事に走り出すことができ、もちろんスピードは出せず時速80キロギリギリぐらい、PAごとに休憩しながらでちんたらと、そこから半分以上(2時間近い)の行程をなんとか無事に走り抜けた。

お守りのように私が持ち歩いている薬の中に、ロキソニン(プロフェンだったかも)がある。主に鎮痛剤として持っていたが、解熱作用もあるので相方に飲んでもらった。その結果、一時的にではあるが熱を下げることに成功。最後の30分ほどを代わって運転することができたのであった。

はあああ、今思えばよくやった私。えらいぞ私。すごい。社長。大統領。

気を張って疲れたけれど、それ以上に「高速運転できたやん……(涙)」という嬉しさで、もう胸がいっぱいになった。また一歩、前に進めたのだ。

もちろん、これからも運転は相方がほとんどするだろう。だが、「高速で運転できた」達成感、肯定感は心の中に残る。よかった、本当に。怪我の功名とはまさにこのことだ。

後に、相方のこの発熱がコロナの始まりであることを、このときは知るよしもない。まあ、予感はしていたけれどね。波乱万丈な正月明けに突入!!