不安に満ち溢れた秋
自分の夢とAIと不安
AIの進化は目まぐるしい。AIの進化によって生まれる仕事はあるし、AIによって消えていく仕事はある。その時、自分の仕事はあるのだろうか・・・。そんな不安を漠然と抱えている。
AIの登場によって、自分の目指す世界はグッと近づいたのかもしれない。ただ逆に「AIを使う能力」というものの重要度が高まり、よりメリトクラシーが強化されていくかもしれない。そして、その中で自分は挑戦を続けていかなければいけない、そういった不安がある。
プロダクト開発への不安
「プロダクトチームは今の状態で良いのだろうか」
そんな不安が自分の中で渦巻く。もっと自分が活躍できることがあり、自分が開発に集中しているのはコンフォートゾーンにいるだけで、挑戦をしなくなっているのではないか、プロダクトのためと言い聞かせて挑戦を抑制していないかと。そして、そもそも自分は開発をしていたいのかという自問。
人生の不安
奨学金を大量に重ねて今の人生を選んできた。後悔はないが、選択が最適かどうかと問われると、胸を張って「はい」と答えることは難しい。
これから結婚・育児とライフイベントが重なっていく上で金銭面は大きく影響してくる。現状の給料や生活水準を考えながら本当に自分は生きていけるのだろうか、AIに職が奪われた結果大きく金銭に困ってしまわないかと不安を覚える。
そんなだれもしもが感じる、ごくごく自然で解決のしようがない「不安」を漠然と抱えていた。
無気力こそ、転換の時
気分が上がらない時、休まる時
最近自分の中で、どうもいまいち気分やモチベーションが上がらない時があった。本を読もうにもモチベーションが上がらず、ゲームをしようにも気分が上がらない。そんな中、唯一受動的にできることとして「映像を見る」ことだった。考えながら見るとそれなりにエネルギーを使う映画だが、ほうじ茶を片手にすすりながら見る映画は至福の時間に感じる。
楽しい気分を目指して
一作目はMONDAYSを見た。仕事の山場を毎週タイムリープしているという作品だった。途中から繰り返しに気づいているメンバーはスキルをメキメキと伸ばしながらループを抜けるべくチャレンジをしていくのだが、その過程も面白く、オチになる最後のまとまりも綺麗で、純粋に「面白い」と感じる作品だった。
いつもと同じ気分を目指して
前から面白いと感じ見ていた「ブラック・ミラー」を見た。オムニバス形式で一風風刺にも感じるのだが、眺める分にはとても楽しめた。今回は「待つ男」を見たのだが、ブラック・ミラー特有の皮肉が感じられたり、現代のスマホに支配された自分たちを考えさせられる作品だった。(と言いつつも、今日もながらスマホをしてしまったわけだが・・・)
少しでも変わりたくて
ちょっとでも気分が上がらない自分を脱する必要があると感じて、適当にブラウズをする中で、一番気になった作品を見た。「スタッツ:人生を好転させるツール」である。
この映画は正直言ってかなりスピリチュアルだった。
科学的な根拠なんてない、だけど何故か言っていることに惹かれる、そんな作品だった。(実は科学的・医学的根拠はあるのかもしれないのだけど)
この作品の中で記憶に強く残ったのは、セラピストと患者の2人の友情というか関係性だった。
ツールの映画なので、ツールを頭に残したかったが、ツールを通してこの2人がどのように自分たちを見つめ直してきたのか、どのようにして変わってきたのかを知ることがこの作品の醍醐味だった。
この2人の関係性から謎の元気を受けつつ、映画の中で紹介されていたツールも効果的なことを理解した。
まずは体を良くし、次に他者との関係性を育み、そして自己を対話せよ
パートXというダークサイドは常につきまとう
誰かに償いを求めても、人生は好転しない
感謝のフローで感謝のエネルギーを体いっぱいに満たす
感謝のフロー
特に最後の「感謝のフロー」が印象的で、スピリチュアル色が強いが、一番納得するものだった。
「感謝のフロー」は簡単で、以下のようなフローで行われる。
まず4つ感謝を思い浮かべる。ここでの対象は何でも良く、感謝をすることが大切
4つ感謝を思い浮かべたら、その感謝を生み出す流れを止めずに「感謝をすることで感じるエネルギー」を感じる
そのエネルギーを全身に張り巡らせる
「たったそれだけ?」と思うことだが、本当に「たったそれだけ」なのである。このフローは5分もあれば実行可能だと思う。
ただ、このフローは本当になんとも言えないくらいの効果がある。感謝することで出てくるあの暖かい感情を全身に満たすことで、一日がよりエネルギッシュでポジティブに感じる。ポジティブに感じると、普段は「嫌だな」と感じてしまうことも全く嫌と感じず、色々なことに挑戦してみようと感じる。
たぶんスピリチュアルも悪くない
スピリチュアルな領域はたぶん医学的に解明されていない部分が多いだけなのかもしれない。もしくは、解明されているが自分が理解できていないか・・・。
そんな世界の考え方を真っ向から否定するのではなく、ときには身を任せ、自分の中でも活かし、より人生を楽しいものに出来ていけるのであれば変に訝しむ必要はないのかもしれない。