アトミック・リーディングとは読書の「あり方」である

やむ
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アトミック・リーディングについて

2023/8/11に発売されたごりゅご氏の書籍。Obsidianを使いこなしていて、以前から読みたいと感じて今の今まで放置をしていました。

読書を楽しめていない現状

この書籍を読むまでは自分が読書を最近は楽しめていないことに気づくことができた。本に対するワクワクを感じて書籍を買うものの、買うだけで終わってしまい、実際に読み終えている本は少なくなってきている。

そして、何よりも多読することにいつの間にか目が向いていて、書籍の内容はほんの一部程度しか記憶に残っていない状況だった。読み返せば分かるから頭の中にインデックスを貼っておけばいいかと思っていたが、それでは自分自身が読書を楽しめていない。

楽読に足りていなかったもの

以前自分が「楽読」という名前で「楽しく読む」手法をLTした。この楽読は自分が面白いと感じた部分に付箋を貼るだけの簡単な方法で、読書のハードルを下げ、書籍自体を楽しむための手法として説明した。この付箋はココフセンの栞型ものを使うととてもコンパクトに読書できるためオススメではあったのだが、1つ欠点があった。それが、通読しただけで終わってしまうことである。

最後のピース、読書ノート

今回このアトミック・リーディングから読書ノートを手書きで取ることの重要性に気付かされた。

自分は今まで通読後にObsidianに付箋を貼った場所を中心にデジタルノートを書いてきた。この方法自体が悪い訳では無いが、上手くワークしていないと感じる部分があった。それは自分の言葉で書籍の内容を置き換えられていないことだ。

自分の言葉で書籍の内容を置き換えられていないということは、わかった気になっているだけで終わってしまっていることだ。

アトミック・リーディングの中でも語られていたが、分かっていないことを分かっていないと自己認知するプロセスが抜け、この本を読んだぞ!という達成感だけで読書を終えてしまっていたのだ。当然分かっていないので、あとからは高い解像度で内容を思い出すことはもちろん、語ることなんて到底できない。

そんな低い理解度で多読を進めていっても無意識下では無駄であることを本能的に理解し始める。そうなってしまった結果現在読書を楽しめていないのだとこの書籍を通して気づくことができた。

私は、読書の効率主義に陥ってしまっていたのだ。

似たような状態に学生の時になったことがある。それは青チャートの解説をすぐに見て解いた気になっていた頃の自分だ。当然のことだが、それでは理解したとは言えず、成績も良くならなかった。本質を見失っていたのである。

楽しんで、読んで、書く

今回この書籍から得られた学びは大きく、実際に読書ノートを取る読書方法を実践してみて心からワクワクを覚えた。なんだ、こんなに読書は楽しいアクティビティだったのかと。

知識を得る喜びもあると思うが、理解をする喜びはそれを凌駕する。

今まで分かった気になって通り過ぎてしまった書籍たちに叩頭しながら、今年は理解する1年に当てていきたいと思う。

余談

AIの進歩が目まぐるしい今、この分かっていないけど分かった気になって、その状態を認知できていない状態は増えてくると思う。AIがすぐに答えを出してくれる今、その答えを使うだけの人間になってしまうと理解のプロセス・経験を失ってしまう。そういった点を考慮すると、より読書の重要性は高まってくるのだろう。

@yum3
『対話』を大切にしているWeb Developerです。技術力はありません。へっぽこです。