ワノ国の朝は早い。
日が昇り始めると、すぐに皆起き出しあれやこれやと支度を始める。その生活音や飯の匂いが隙間風に乗って長屋に届くと、合図のように煎餅布団からやや軋む身体を起こし欠伸をひとつ。それがここ最近のローの目覚めの決まり事だった。
しかし、昨夜は鈴後からの寒風が吹き降ろすと聞いた通り、普段は春らしい暖かさの都においても、雪が降ろうかというほどの寒さになった。
肌寒さに目を開けたローは、まず、隙間風のビュウという音を聞いた。辺りはまだ薄暗く、誰の声も聞こえてこない。寝直すかと寝返りを打った布団の中で欠伸を噛み殺す。残念ながら今ので目が覚めてしまった。
こうなれば、ローは自身がまんじりともできず夜明けを迎えるのを知っている。誰に聞かせる訳でもないため息を吐き、早々に諦めて身体を起こす。
眠る際に灰を掛けたはずの火鉢がパチッと音を立てた。その火がほんのりと部屋を暖めているようだったが、さすがに年に数度の寒さには敵わない。傍らに放り出していたはずの、今は衣紋掛け――つまるところハンガーに掛かった上着を羽織る。それらを用意したであろう男は既にこの部屋には居らず、隣の布団は抜け殻のようにぐしゃりと潰れていた。
明かりもない中、戸の引手を探すのに幾らか難儀してようやく開くと、砂を噛んだ戸はガリガリと嫌な音を立てた。
幽々たる空に膨らみかけの月が沈んでいくところだった。そのちょうど真下に人影がぽつんと一人。男が井戸の鶴瓶桶に直接手を突っ込み顔を洗っている。まめなくせにこういう所では雑なその仕草にフと息が漏れて、ローは自分が笑ったのだと気付いた。
「……はよ、早いな」と、その暗がりから声が掛かる。
「お前もな」と返すとやや機嫌の良さそうな声が返ってきた。
外に出て井戸へと向かえば、冷えた空気がつんと鼻を刺激した。
「今日はやたら寒ィなァ……朝飯は温かい物にするか」
近づいてよくよく目を凝らせば、鼻の頭と耳を真っ赤にさせている。林檎の皮の様にまだらに色づいた頬を、ついと指先で撫でれば「あったけ……」と頬の方からすり寄ってきたので、親指でそっと睫毛をなぞった。
男の、普段はまぶしいほどの金髪もまだひっそりと夜に溶けている。
昼と夜で態度を変える男の夜の名残を残した仕草に、心臓がとくりと音を立てた。
「黒足屋」
「ん……」
静かに合わせた唇もやはり冷たかった。手の平、唇、時折触れ合う鼻から、じわじわと熱がうつる。そうしてすっかり同じ温度になろうかという時、思わず漏れたという様子で、ふうと小さな吐息が唇にかかった。
「も……いいだろ」
夜が明けるまでもう少しあるだろうに。可愛くない事を言う男を、ローは自分の羽織の中にそっと閉じ込めた。
何かを言いかけて開いた唇を「もう少しだけだ」と言い訳にもならない言葉で塞ぐ。
じきに差し始める陽の光から、少しでも長くこの男を隠しておきたかったのだ。