※本記事はMCUの批判記事であるため、好きな方は以降を読まずに今すぐブラウザバックしてください。それでも読まれる場合、わざわざ自分が不快になることを自覚しながら読み進めたわけなので、気を悪くしたとしても僕は一切の責任を取りませんし、批判も受け付けません。
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冒頭にあのような過激な注意書きをしたのは、MCUファンが基本的にあのようなスタンスだからである。
批判意見に非常に過敏で、食ってかかる者から穏便に避けたがる者まで、程度に差はあれど作品の粗に目を向けることを許さない。
それが粗ならまだしも、致命的な落とし所を与えるようなものであったとて、彼らは思考停止で褒め讃える。
だから僕も、彼らの文化に倣って批判を一切受け付けないスタンスを取らせていただく。もしこの僕の態度に腹を立てるようなら、まずは我がふりを直すことをおすすめする。
もっとも、ファンは既にブラウザバックしているはずなので、本来彼らには届かない指摘だ。届かないからこそ好き勝手に貶すのであり、わざわざ興味本位でファンが読み進めるのは本当におすすめしない。
では、くどい前書きが終わったところで本題に入る。
MCUを楽しみたかった
言うまでもなく、僕はMCUが苦手である。同様に、MCU信者も苦手である。
本記事のタイトルも、「日本よ、これが映画だ」という対立を煽るキャッチコピーをもじったものだが、とにかく言葉が強い。楽しめない方がおかしいよね?というスタンスで騒ぎ立て、覇権コンテンツであることをかさにきて大手を振るうくせに、批判する者は「わざわざ好きな人の前で言うことなくない?」である。
犬も歩けばMCUファンに当たるのに、なにが「好きな人の前で」だ。こっちも別に好きでお前らの前にいるわけではない。
大体、その作品を好きな人の感性が尊重されるべきなら、同様に嫌いな人の感性も尊重されるべきだ。自分たちの感性だけ尊重しろと宣うその身勝手さはハロウィンに百鬼夜行を連ねる渋谷の若者並にタチが悪い。
どちらも、信仰対象の中身などろくに知りもせずらんちき騒ぎを起こして周囲に迷惑をかけ、批判するものには「ノリ悪いなあ」と冷めた目で見る。条例で規制して欲しいもんだ。
とまあ、ファンの悪口はそこまでにして、僕がシリーズのどこが苦手なのかを書いていきたい……のだが。
それを語るには、そもそもどうして僕がMCUに触れるに至ったのかを書く必要がある。
きっかけ
きっかけは、タカノンノ氏の漫画だ。
僕が好きな漫画家の1人で、非常に共感できる話だった。
漫画では直接MCUの名は出していないが、時期から考えても明らかにMCUのことを指しており、「そんなに面白いのか」と気になったのがきっかけだ。
しかし、その面白さを味わうにはシリーズの長い歴史と向き合う必要がある。いきなりポンと最終章だけ見ても楽しめないのは自明の理だ。
よって、その最後の感動を味わうべく、シリーズの頭から徹底的に向き合うことにした次第だ。
正確に言うと映画しか見ていないので、ドラマやら漫画やらは見ていないのだが、そんじょそこらのにわかなファンよりはよっぽど真面目にシリーズと向き合ってきたことは予め断っておく。
純粋に楽しめたシーズン1
MCUは、MARVELという会社が版権を持つ様々なキャラクター達のマルチバースである。故に、最初は様々なキャラクター達の単独映画が展開され、エンディング後にチョロっと次回作への関連がほのめかされるような作りになっている。
緩く、しかし着実に同じ世界観を共有していることを示すその作りはオタク心を刺激するもので、毎回ワクワクしながら見ていたものだ。
キャラクター達も、アイアンマン、ハルク、マイティー・ソー、キャプテンアメリカと、性格はもちろん時代や国、果ては星まで異なるため、毎回新鮮な気持ちで見ることができた。
アイアンマンは、戦争をビジネスにする武器商人の話だが、自社の武器を使って一からアイアンスーツを仕上げていく無骨なミリタリー臭のする作風がかっこよかった。
かと思えば、キャプテンアメリカではひ弱な青年が戦争兵器として人体実験されることで、ムキムキのダイナマイトボディを手に入れるところから始まる。
ヒーローになるに至った理由も、その手段も全てが異なり、その過程に応じた舞台が割り振られている。
ファンの間ではもっぱら評判の悪い黒歴史作の「インクレディブル・ハルク」も、小汚い工場でいかがわしい薬をドーピングする陰鬱な作風が味わい深くて僕は好きだ。
なるほど、これは覇権になるのも頷けると納得できる、真面目で硬派な、最初から金のかかったコンテンツである。
だから、このままの作り込みでシーズン2に行くものだとばかり思っていた。
悪夢のようなシーズン2
ところが、シーズン2からは打って変わって三流の脚本になる。
作品ごとに支離滅裂な言動をとる一貫性のないアイアンマン、脚本に異を唱えたため役者が交代したハルク、大体こいつ一人で解決してしまうため都合よく欠勤扱いになるマイティー・ソー。
キャプテンアメリカだけは全くブレることなく我を押し通していたので、彼だけを心の拠り所に何とか視聴を続けた。
しかし、アイアンマンの雑な扱いが次第に看過できなくなってくる。人気キャラ故に出番が多く、しかも現実世界において立場のある便利な設定のため、とにかく狂言回しに利用される。
そのため、描きたいシナリオありきで毎回違った立ち居振る舞いを強要される。反省したはずなのに同じ過ちを何度も繰り返し、次第に謝らなくなり、そのうち行動の理由も説明しなくなる。
なんでこんな支離滅裂なキャラクターが好きなのか疑問なのだが、理由を聞いてみたらなんと「下まつ毛が色っぽいから」だそうだ。なるほどね。
アイアンスーツを着ている最中は見えないはずなのだが、多分ド派手な戦闘の最中でもフェイスマスクの裏の下まつ毛を脳内補完するのに必死で、内容が頭に入っていないのかもしれない。
僕には全く理解できないが、多分スカートの裏のパンツの色に思いを馳せる変態と理屈は同じなんだろうな。知らんけど。
他にも、キャプテンアメリカ好きの理由を伺うと「吹き替え声優のファンだから」らしい。なるほど、なるほど。
……MCUって、アベンジャーズから吹き替え声優が交代したことで大荒れしなかったっけ?
むしろ、そこでファン層が入れ替わったのかもしれない。
シーズン1を見ていた従来のファンは愛想をつかし、代わりにコンテクストなどどこ吹く風な、出演して発声さえしていれば全ていい!とブヒる声豚が大量に入荷された。
これは、僕の落ち度なのかもしれない。きっとリアルタイムで追っていたら、そのあまりの落差から視聴を断念していたはずである。
長年追いかけていたシリーズのキャラクターの声が、ある時突然、タレントに変わるのだ。字幕で見ればノーダメージかもしれないが、「日本よ、これが映画だ」なんて言い始めるし、中身も到底それに及ばない劣化をきたすし、挙句周りを見ても声豚しかいないとあらば、一目で「これはもうダメだ」と気がついただろう。
2023年にもなってシリーズを追おうとした僕の落ち度だ。今後はなるべくリアルタイムで追うようにしたい。
デウス・エクス・マキナ
しかし、それだけなら僕も何とかしがみついていた。
本格的に心が折れたのは「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」や「シビルウォー」といった、シーズン2の後期及びシーズン3の頭である。
見出しにもある通り、全くシリーズと関わりのない新キャラが突然ぶち込まれるのだ。
特に「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」がとにかく苦痛だった。
キャラクターのバックボーンが主人公以外に全く描かれず、なぜか初対面のはずなのに馴れ馴れしく会話したり、命がけで助け合ったりする。
絆を育むシーンなど皆無で、なぜ初対面の連中がそんな行動に及ぶのか皆目見当がつかず、真面目に「なにか前作を見逃してしまったのか」と困惑した程である。
「お前誰だよ」がずっと連続し、特にその説明がなされぬままひたすら寒い身内ネタを繰り返す。しかも、その映画単体では今まで見てきたMCUシリーズと何ら関わりはなく、一体何を見せられているのかとこちらは困惑するばかりだ。
そして極めつけは、シビルウォーである。これはもう苦痛を通り越して記憶から消し去りたいほどつまらなかった。
本筋と無関係なスパイダーマンが、ただ人気だからという理由でぶち込まれる。
ちなみに、MCUにスパイダーマンは一度も登場していないため、もし視聴者にスパイダーマンを知らない者がいたら完全に置いてきぼりだ。
他にも、様々なキャラクター達が派閥にわかれて大乱闘を始めるが、どちらの派閥につくかの描写が超絶雑なのだ。
どれだけCGで絵面を派手にしようとも、バックボーンが修学旅行の枕投げ以下では楽しみようがない。
単体で映画を作ってしまうほどバックボーンの掘り下げに余念がなかったMCUそのものへの冒涜であるとすら僕は思うが、お察しの通りシリーズでもトップクラスに人気作だ。
声豚はキャラが出演していれば中身などどうでもよく、あまつさえ掛け合いが見られるのだから垂涎ものというわけである。
アイアンマンの出演シーンも多めなので、下まつ毛を主食にしている信者への供給にも余念が無い。
スパイダーマンの乱入も「わァ〜スパイディーだァ!」という、知っているキャラが予想外のタイミングで現れる驚きさえ得られればそれだけでアハ体験となり、前後の文脈など豚に認識できるはずもないので不要である。
当然ながら、デウス・エクス・マキナの意味も知らない。
しかも、作中のスパイディはやたら弱い。
いくらアイアンマンが人気と言えど、スパイダーマンは単独でMARVELを牽引するほどのドル箱コンテンツで、はっきり言ってカリスマ性は比較にならない。
ジャンプで例えるなら、入れ替わりの激しい萌え漫画枠の中に唐突にルフィが乱入し、互角以下の戦いを繰り広げるようなものである。よくそんな出来の悪い二次創作みたいな展開で満足できるもんだ。
やはりサム・ライミ版のスパイダーマンなど当然視聴しておらず、一体そんな状態でどうやってスパイダーバースを楽しんだのか甚だ疑問だが、多分吹き替え声優の誰かが当たりだったか、下まつ毛が色っぽい役者がいたのだろう。
数少ない救い
しかし、キャプテンアメリカとロキだけは、一貫してそのキャラクター性がブレることはなく、傷心に浸った僕を慰めてくれる数少ない救いとなった。
ロキに至っては今も単独で映画が作られており、できることなら追いかけたかった。
残念ながら、タカノンノ氏の漫画のような状態になることはなく、エンドゲームどころかその直前のインフィニティウォーすら見ることなく、僕はMCUから手を引いた。
多分、値下げ期間が終わったからだったと思うが、もう理由なんてどうでもいい。
MCUを通して僕が得られた体験は、丁寧に丁寧に掘り下げ、そして積み上げてきたキャラクターや世界観を、大人の都合でぶち壊す喪失感と、大人の都合に騙された家畜たちが押し寄せ蹂躙していく地獄絵図だった。
正確に言うと、蹂躙された戦場の跡しか見ていないので、リアタイで追いかけていたらショックで寝込んでいたかもしれない。
先ほどは「リアタイで追っていない僕の落ち度」と書いたが、前言を撤回する。
奴らとリアタイで鉢合わせしなくて心底良かった。
そして、批判を受け付けない彼らの態度によって、僕のこの鬱憤はどこにも発散することができず、しばらくずっと内に抱え込むことになった。
信者を追い出してここに供養できたことで、僕も少しは救われた気がする。