最近、僕の周りでX(旧Twitter)から離れようとする動きをちらほらと見かける。
ある人はアプリを消し、ある人はBlueskyを始め、ある人は完全に音沙汰がなくなった。
大いに結構なことだと思う。
僕はというと、今のところ離れる気はない。
なぜなら、今のXをそこそこ気に入っているからだ。
離れようとはしてみた
Twitter(現X)のアプリをスマホから消したことは、何度もある。
数えていないが、10回以上は確実に試みている。
わざわざ(現X)と表記を変えたのは、まだTwitter時代の話だったからだ。
ハフポストが猛威を振るい、日々ポリコレと政権批判がキュレーションされ、今より緩い侮辱罪を前に公然と罵詈雑言が飛び交っていた、SNSの暗黒期である。
さすがにあの頃はメンタルをやられた。
アプリどころかTwitterアカウントごと抹消し、少なくとも1年以上はゆみねこ名義での活動をやめた。
しかし、同時に僕はSNS中毒者でもある。酷い時には9つのアカウントを同時に動かしていたぐらいだ。
メンタルがズタボロになろうと完全に断ち切ることはできず、不快なものを日々目にしながら衰弱していく悪夢のような日々だった。
しかしTwitterは死んだ
しかし、ご存知の通り、TwitterはXへと名を変え、イーロン・マスク体制が始まった。
これがもう、僕にとってはありがたいことこの上ない。
巷では改悪に次ぐ改悪で不満が殺到しているし、その気持ちも理解はできる。
しかし僕にとっては、その改悪こそが依存を断ち切る一助となるので、快く歓迎したい次第である。
早い話、ビジネス気取りの実用的なTwitterが、便所の落書きぐらいしか使い道のないクソSNSに成り下がってくれたことが嬉しいのだ。
本来、SNSなど肩肘を張ってやるようなものではない。
鼻くそをほじりながら流し見で無責任に呟くぐらいでちょうどいい。
耄碌した戯言ばかりが飛び交うインターネット老人ホームで、ビジネスユースなど聞いて呆れる。
こんなクソサービス、もっと肩の力を抜いて付き合うべきなのである。
Twitterから離れるにはどうしたらいいか。答えは明白だ。Xを好きになればいい。
ポリコレ叩き棒や、自社製品を喧伝するメガホンとして、半端に利用価値があったTwitterはもういない。
アルゴリズムが不透明かつ不安定なXを受け入れ、何がバズるか分からないしバズらせる必要もない、混沌にまみれた汚い砂場ではしゃげばいいのだ。
そんなところで堅苦しく真面目に頭を使うから疲れるのだ。
SNSの依存性は高く、いいねで手軽に承認を得られる中毒性からは中々離れがたい。
皆が使っている中で、我慢して敢えて離れたところで、話題は勝手に耳に入ってくる。
無理して俗物からひたすら距離を置いても、浮世離れするだけで大したメリットは見込めない。
適度にまみれてなお自我を保ってこそ、清濁併せ呑む人間に近づけるのかなと、そんなことを思ったりもする。