普通のこと

弓猫
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※今回の記事はやや下世話なので、苦手な方は読まないことをおすすめする。

なお、しずかなインターネットは規約で公序良俗に反する内容を禁じているが、公序良俗はHな意味ではないことも念のため書いておく。

東雲真冬

東雲真冬というキャラクターがいる。とあるアダルトゲームのヒロインで、貞操観念が終わっていることで話題を呼んだ。

主人公はそんな真冬に恋をして告白してしまうが、真冬は主人公を試すかのように他の男たちと寝まくるのだった……という話。

もうあまり聞かれなくなったが、そこそこ長い間「魔性の女」として話題を呼んだ。

主人公以外は絶対に好きにならないという徹底した貞操観念、なんなら絶対に処女であるべきとすらされるアダルトゲームのヒロインが、あろうことか交際後も他の男たちと公然と肉体関係を持ちたがるわけで、話題を呼んだ理由も理解できないことはない。

しかし、「生半可な気持ちで遊ぶと鬱になるぞ」と言わんばかりの過剰なレッテルを貼られたようにも思う。

実際に遊んだことがあるのだが、はっきり言って何にもそそられなかった。

趣味が合わないわけではない。この手の毒婦をモチーフにしたテーマは大好きだ。

単純に、刺激が足りなかった。

貞操観念が壊れた女なんて、毎日AVを見ている身としては遭遇しない日はないぐらいだ。

その中でも特別過激なヒロインなのかと期待していたため、ただ単に数を重ねるだけの女を前にしても何にも魅力を感じなかった。

行動原理が透けて見えるのもいただけない。

いかにも過去になにかありましたと言わんばかりの言動で、どうせこっぴどい性被害か失恋にあったか、家庭環境が複雑だったかだろうと容易に想像ができる。

別にそういう人を否定する気は全くない。しかし、フィクションにおいてはかなり浅ましい行為に思えた。考察が正しいかはさておいて、予想がついてしまった時点で興味を失う。

行為自体にも工夫がない。本当にただ色んな男を呼ぶだけで、数の多さでしか過激さを演出していない。

こちとら成人する前には、馬乗り美女の100人斬りのAVを腐るほど見続けたんだぞ。

たかだか2~3人増やしたグループセッションがなんだってんだ。

僕は小学生の頃からエロいことが大好きなクソガキだったが、アダルトゲームの文化とはどうにも相性が悪かった。

ヒロインは清くあるべきと言う割に、プレイヤーは“俺の嫁”を取っかえ引っ変えする。同じ理由でアニメ文化も受け入れられなかった。

何も知らない清廉潔白なヒロインももちろんいたっていいが、そればかりでは味気ないと思わないのだろうか。

繋がれたから気持ちいい、幸せだ、それもまたひとつの愛の形だが、猫も杓子もそればかりで飽きてこないのだろうか。

そういう意味では東雲真冬のヒロイン像は挑戦的ではあったが、逆に言うとたかだかその程度の特異性で魔性の女と呼ばれ語り継がれてしまうような文化なのである。

はっきり言って、誰とでも寝れる女・セックス自体が好きな女なんてその辺に掃いて捨てるほど存在する。それが過去の傷から来るなら尚更である。

幸いなことに、企業製のアダルドゲームが廃れ同人ゲームが主流になるに連れ、この悪しき文化もまた廃れてきた。

恋愛とセックスに過剰な潔白さを求める文化が廃れ、多様化が進んだように思う。

東雲真冬のようなキャラクターも、なんにも珍しくは無い。今更話題にならないのがその証拠である。

アニメもアニメで、推しの子が受け入れられている時点で多様化したと言えよう(あくまで処女崇拝の話であって、推しの子に毒婦がいるわけではない)

自由な性癖を表現できるようになって、喜ばしい限りだ。

@yumineko
個人ゲーム開発者。開発の進捗は ci-en.dlsite.com/creator/20437 にて