※ネタバレを含むので、見たい方はブラウザバック推奨。
はじめに
ハイテンションは、2003年に製作されたフランスのホラー映画だ。
そう、ホラー映画である。
何かと脚本にケチが付けられやすい本作だが、僕はナンセンスな指摘だと思っている。
よく言われるのは「整合性がない」「後出しジャンケンで卑怯」であるが、前者に関しては理解不足で、後者に関してはホラーなのにも関わらずミステリーという全くもってお門違いな切り口から否定しているだけである。
この映画を目にした時、そして鑑賞し始めた時、探偵がフェアでロジカルな推理ショーを繰り広げる展開を期待する者がどれだけいるだろうか。
どれだけアンフェアでも、怖がらせたもの勝ちがホラーである。
ホラー映画は先を予想させずに感情を引っ掻き回すべきであり、フェアに伏線を張る必要など本来全くないのである。
しかし、本作にはいくつかの伏線が張られており、丁寧に読み解いていけば事前にオチが予測可能なフェアな脚本である(実際、視聴中にオチを言い当てた知人がいた)。
というわけで今回は、ハイテンションのオチ(マリー=殺人鬼)の伏線がどこに張られていたかを考察していく。
中には「作者はそこまで考えてないと思うよ」という無理のあるこじつけも含まれるが、ノンフィクションでもない限り映画は創作物であり、全ての表現には作り手の何らかの意図や、そうなるに至った経緯が含まれている。
小物ひとつとっても、誰かが指示をしてそこに置きカメラを向けない限り、画面には映らないのである。
そのため、映った画全てに理由がある前提で考察させていただく。
辻褄の整合性
まず真っ先に疑問に上がるのが、「あのシーンは何だったの?」という辻褄の合わなさである。
マリーはアレックスに招待されて屋内にいるわけなので、外から父親を切りつけるのは不可解だし、日中はアレックスとずっと一緒に車内にいたにも関わらず、白昼にトラックから生首を放り投げたのも有り得ない展開だ。
他にも、ガソリンスタンドの店員がマリーと殺人鬼の両方と会話していたり、監視カメラに殺人鬼が写っていたり、男子トイレで用を足したり、おかしい点は枚挙に遑がない。
これらは全て、「映画本編のほとんどが、精神異常者のマリーの供述を元に作られた映像だから」で解決する。
早い話が「信頼できない語り手」である。
マリーはアレックスに欲情しており、彼女をものにするために周囲のあらゆる人間を排除しようと試みた。
しかしマリーは完全に頭がラリっており殺人鬼の自覚が無いため、起きてしまった物事に対して後付けで話をでっち上げ、自分で納得するしか無いのである。
刑事「なぜあんなことをした?」
マリー「大男の殺人鬼が来たので。白昼堂々、生首と行為に耽るような精神異常者です」
みたいな取り調べが繰り広げられ、その供述を映像化したのが本編である。
実際、プロローグはマリーと思われる人物が「録音して」と言うところから始まる。
ガソリンスタンドで整合性の取れないやり取りが起きるのも、マリーの供述の支離滅裂さを表現して書かれた脚本だからだ。
警察との電話でマリーが激昂するが、それもそのはずで、殺人鬼である自分としては警察に居場所を知られたくないし、でもマリーとしては友人を助けたいので、その整合性が取れない事実に腹を立てたか、あるいは取り調べ中に矛盾を指摘されイライラして作り話を強制的に終わらせたか、どちらにしてもこの整合性の破綻は意図したものである可能性が高い。
そもそも、本来アレックスが経験したはずの森の中の逃亡劇がマリーに置き換わるという、誰が見ても辻褄が合わないシーンが冒頭に流れるのが、映像に嘘が混ざっている何よりの証左である。
マリーの立ち回り
マリーが具体的にどのような手順で事に及んだのかは不明だが、殺人鬼が行動している時のマリーは、基本的に実際には「存在しない」扱いになっている。
父親を切りつけた時は部屋にいないし、母親の首を切った時はクローゼットにいないし、子供を殺めた時はアレックスの傍にいない。
拘束されたアレックスとのやり取りをよく見ると、マリーに怯えた素振りを見せる他にも、全く視線を合わせないシーンも多々あることが分かる(子供が殺された直後の号泣や、トラック内のマリーとのやり取りなど)
これは、とうもろこし畑で子供を仕留める時は部屋にいられないし、トラックを運転中の時はコンテナにいられないからである。
マリーの運転
冒頭のアレックスとのドライブシーンから、マリーは運転中に泥酔して酷い目にあったことが分かる。
これは、中盤から終盤にかけてしきりに飲酒運転を繰り返す殺人鬼のことを指しており、マリーと同一人物であることの暗示である。
カーチェイスも実際には起きていないため、泥酔した末に一人で勝手に車を横転させて事故ったものと思われる。
マリーの自慰行為
恋愛しないのかとの問いに「欲情していない」と言い放ったにも関わらず、アレックスのシャワーシーンを目撃した後に自慰行為に耽ったのは、マリーがレズビアンだからである。
トラックのバックミラーに多数の女の写真があることや、生首も女性であることから、今までも欲情した女に対し似たようなことをしてきたものと思われる。
マリーがアレックスに友情以上の行為を抱いていたことは、ドライブ中に恋愛ソングを歌ったり、アレックスの前日の化粧の残りに気づくことからも察することができる。
ガソリンスタンドの店員
レジ前のやり取り中に、店員のジミーの指に殺人鬼の大男が自分の指を添えるシーンがある。
何とも気味の悪い描写だが、これはマリーが色仕掛けで油断させたものと思われる。
サングラスをかけて「都会の女に欲情するか」と聞いたのも、自分を性的対象として見せて油断させるためか、アレックスに群がる悪い虫か確かめたかったか、或いはその両方だ。
アレックスの母親
アレックスの母親が、死ぬ間際に「なぜなの?」と言ったのは、顔見知りのマリーの犯行を目の当たりにしたからである。
また、玄関から階段へゆっくりとにじり寄る殺人鬼の大男に対し、アレックスの母が逃げずに困惑した顔で立ち止まっているのは、マリーがそこにいる状況が理解できなかったからだ。
アレックスの実家を前にしたマリーの反応
アレックスの実家に着いた時、やたらとマリーが浮かない顔をしていたり、家族に塩対応を繰り返すのは、アレックスを私物化するにあたり邪魔な存在だからである。
部屋をぐるぐる見渡していたのも、犯行のプランを練っていたためだと思われる。
殺人鬼の大男が家族写真を割ったのは、アレックスの顔だけ切り抜くための他に、自分以外と仲良くする家族の存在に腹を立てたからだ。
その他
冒頭のドライブにて「変な夢を見た。私が私を追いかけている」といったマリーの台詞や、殺人鬼の大男の巨体に不釣合いな小さなカミソリ、アレックスが連れ去られた時に真っ黒な背景に消えるマリーと、直後にどこからともなく取り出した包丁など、マリーが殺人鬼であり、殺人鬼が行動中のマリーは都合よく鉢合わせずに隠れ続けていることを示すものはたくさんある。
分からない・自信がないもの
自慰行為の前に意味深にアップで映る不気味な人形と、殺人鬼が現れた後にこれまた意味深にアップで映る割れた顔の人形が意味するものが何なのか分からない。
マリーが暴れ回るうちに壊したのか、はたまた安全圏が脅かされ暴力が迫ってくることを示すホラー的な暗示なのか。
アレックスの邪魔者を排除したいなら、彼氏を標的にしなかったのはなぜか。他に女がいると知っていたから、何もせずとも関係が壊れることを見越していたのか。
おまけ
電ノコで派手に切られるモブの運転手役は、撮影直後の真っ赤な状態で悠々と飲食をしており、マリー役を笑わせたらしい
マリー役と殺人鬼役は、監督の配慮で当初は互いを遠ざけていたものの、予算の都合で同じ車に乗ることになった際に意気投合し、結果的に互いに遠慮のない演技ができるようになったという
電ノコで窓ガラスを破壊するシーンは、本物のガラスを使っている
ジャネット・デ・ロッシという著名な特殊メイクが関わっており、マリーやアレックスに付着した血の色や質感も時間経過で黒く酸化させるなどかなりこだわっている。2021年に逝去
殺人鬼を演じたフィリップ・ナオンは悪役として名高い役者だが、脚本を受け取った時「もうこんな役はやりたくない」と断ったところを、監督の熱望を受け承諾。温厚な性格のようで、マリーの口内に指を這わせるシーンでは、撮影終了直後に「もう勘弁してくれ」と嘆いていた。2020年に新型コロナに罹り逝去
殺人鬼の顔面をマリーが殴打するシーンは、顔の前に柱を置くことで寸止めさせているが、作りが甘かったのか誤って顔に当ててしまい、以後マリー役のセシル・ドゥ・フランスが殴る演技を手加減するようになってしまった
撮影中の森はとても寒かったようで、そんな中をシャツ一枚で演技せねばならないセシルやマイウェン(アレックス役)は、待機中を身を寄せ合いながら撮影終了後の楽しみを語り合って凌いでいた
まとめ
本作は四大フレンチホラーと名高い一方で、フランスでの反響を受けて予算を追加投入して全世界に公開したら大コケした経緯があり、マニアから高く評価される一方で現在はどこにも配信されていない。
入手困難になる前にディスク版を手元に置くことをおすすめする。