生きている世界

弓猫
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ドラゴンズドグマ2を遊び続けて、1週間以上が経った。

世間で言われているよりは確実に良作判定だが、その一方で前作ほど熱狂することもなくなり、「やはり微妙だったのでは?」と思うことも少なくない。

特に、戦闘面での不満が多い。既にサ終したDDON(ドラゴンズドグマ・オンライン)の複雑な戦闘に慣れている身としては、やれることが少ない上に難易度も緩く、刺激が足りないように思えたからだ。

どれくらい刺激が足りないかと言うと、エンディングによってはラスボスに近い敵すら一撃で沈められるほどバランスが壊れている。

手に汗握る冒険を期待していた戦闘狂としては、歯ごたえがなくて退屈だった。

俯瞰

そんな折、いくつかドグマ2を俯瞰して眺められる出来事があった。

ステラーブレイドの体験版配信と、婚約者のドグマ2デビューだ。

前者は「デスティニーチャイルド」や「勝利の女神NIKKE」のSHIFT UPが手がける、大変けしからん露出を誇る美少女がエイエイ斬りまくる韓国産のアクションゲームだ。

Project EVEというタイトルでPS5初期の頃からPVが流れており、注目していたタイのひとつだった。

体験版が配信されたのでウキウキ気分で遊んでみたのだが、完全にnot for meで購買意欲が失せた。

ステラーブレイドを酷評する気はない。僕が好むゲームとは全く異なる内容だった。

そして、こういう比較の仕方は嫌われるので良くないが、ドグマ2のどこを楽しんでいたか再認識させられた。

好きにフィールドを歩き回れる自由度。

ストーリーをなぞらなくてもいい、気軽なゲームプレイ。

中でも特に気付かされたのが、細かく探索するほど見返りがある、生きている世界である。

これは僕が寡聞なだけかもしれないが、世の中に蔓延る大半のゲームは、世界が生きていない……ように感じられる。

生きていないとはどういうことかというと、グラフィックが精細であるかどうかに関わらず、フィールド・ダンジョンに配置された様々なオブジェクトに文脈がなく、またこちらが何かアクションを起こしても反応がなく、ただの背景としてしか機能していないということだ。

例えば、背が届かないほどの高さの巨大な本棚が幾重にも連なる壮大な図書館のダンジョンがあったとして、どの本棚を調べても文献を漁るダイアログが出ず、攻撃しても反応がなく、皆一様に同じ密度で本が敷き詰められている壁としての役割しかなかったら、次第に本棚に対して興味を失うだろう。

逆に、たまに光っている本を調べると文献が読めるとか、本が散らばって床に落ちており、触れると蹴っ飛ばして散乱するだとか、落ちている本を拾って本棚にはめると本棚がスライドして隠し通路に行けるとか、児童書のコーナーに子供用の服が散らばっているだとか、そういうものたちだ。

その図書館で実際に人間が使っていたであろうという痕跡、その図書館で何が起きたのかという文脈、実際に図書館を探索しているような没入感。

ただの障害物や背景ではなく、図書館でなければならない理由がそこにはあり、プレイヤーは世界観に浸りながらより深くのめり込み、その世界に対してアクションを試みるようになり、世界はプレイヤーへリアクションを返す。

プレイヤーとゲームで双方向的にコミュニケーションが発生するのが、他の娯楽にないゲーム特有の楽しみだ。

ドラゴンズドグマだけが殊にこれに優れているとは思わないが、リニアなアクションに集中させたいステラーブレイドには存在せず、真剣にアクションに向き合うことを強要されて息苦しかったのは事実だ。

カプコンが特にこだわっていると感じる部分のひとつであり、「カプコンのゲームだからこの点は大丈夫だろう」とすら僕は思っている。

バイオハザードにしろ、モンハンにしろだ。

他に優れていると感じたのは、オーバーウォッチ、Apex、ソウルシリーズと僕が没頭したゲームばかりで、図らずも僕は生きている世界に固執していたことに気付かされた。

他人のプレイ

兼ねてより(僕の狂信的なドグマ愛を傍から眺めていたせいで)ドラゴンズドグマに興味のあった婚約者が、先日やっと手に取ってくれた。

僕としてはドグマを批判されることには慣れっこなので、どういう反応になっても構わないと思いながら眺めていたのだが、やはり他人のプレイをその場で眺めるのは非常に参考になる。

生身の人間が何を思いながら操作しているのかが、如実に伝わってくる。

婚約者は、気になるところはつぶさに観察しないと気が済まないタイプで、同じく手に取ったステラーブレイドでも端から端まで探索していた。

ステラーブレイドも脇道に何も無いわけではないのである程度のリアクションはあるが、それでもウィットに富んだ反応とは言い難く、壊せそうなフェンスなのに攻撃してもなんの反応もなかったり、宝箱を開けても聞き馴染みのないSF用語のアイテムを入手するばかりで、次第に探索への興味を失っていった。

対しドグマの場合、オープンワールドなだけあって一つ一つは薄味だが、何かしら細部に目を配った時に好奇心を満たす報酬が用意されている。

報酬とは、例えば採取できる薬草や宝箱といったアイテムの時もあるし、絶景や住民といったフレーバーを楽しめる時もあるし、敵の時もある。

また、これも出来はさほど良くないが、定期的にポーンが会話をしてくれるのも探索の単調さを軽減している。

狙ってやったのか分からないが、物理演算をベースとした不安定なアクションにポーンがまごついて、あたふたと滑り落ちたり経路探索に困惑している様も見ていて飽きがこない。

ゲームというと、立ちはだかる難関に直接対峙して攻略している場面ばかりで面白さを計りがちだが、ドグマはそれ以外の緩やかな好奇心をずっと満たし続けるゲームなのかもしれない。

戦闘

ステラーブレイドと大きく違いを感じたもうひとつの要素は、戦闘だ。

ドグマは戦闘すらもフレーバーの域に留まっており、真っ向からアクションとして攻略する楽しみがあまりない。

先程それが物足りないと書いた通りだが、裏を返すと自分の気分次第で好きな遊び方ができる猶予が作られている。

無論、ドグマの戦闘も簡単ではない。序盤は気を抜くと最弱のゴブリンすら脅威となる。

しかし、ステラーブレイドの場合はSEKIROに戦闘システムが近く、パリィやジャスト回避、溜め攻撃や反撃、姿勢崩しなど様々なシステムを深く理解することが求められる。

格ゲーにも似たそれであり、かっこよさに浸りながら好きな技を出しているだけでは簡単に死んでしまう。

一応下の難易度もあるにはあるが、「ぬるま湯モードですよ」と言われながら過酷な戦闘を強いられる世界観のゲームを遊ぶ気にもなれない。

ゲーム側がメタな手加減を提示してくる難易度選択は、一定の需要がある一方で興を大きく削ぎ世界観に都合の良さを与えてしまうものでもある。

できれば、無い方が僕としては嬉しい。

何にせよ、ドグマの場合は雰囲気で使いたいスキルを使い、雰囲気で立ち回ってもある程度はどうにかなるようにできている。

その一方で、気を抜いてリスク管理を怠ると危機に瀕して死が近くなるようにできているし、その際は大袈裟に警告してくる。

PS5コントローラーのスピーカーはけたたましく音を立て、画面は赤くなり、ポーンも過剰に心配する。

反対に、敵を追い込むとBGMが変わり、ポーンも盛り上げる。

お金を集め、装備を変え、徐々にジョブレベルが上がってやれることが増え、探索エリアを広げていき……といった地続きなプレイに没頭し、気がつけば睡眠時間を大幅に削られていた。

自分が遊んでいただけでは気づかないプレイ体験だった。

興味の動線が伸びた先に何かしらの発見があり、無秩序にならない範囲でなら何をしても咎められない。次第にそれは横着へと変わり、ズルして抜け道をできないかとゲームに対して反抗心すら芽生えてくる。

ボスをワンパンできる構成を探り、通行証が無いと通れない関門を不正に突破する方法を編み出し、変装して忍び込んだ城でいきなりパンイチになったら何が起きるのかと試し始める。

そして、それらの興味・反抗心にしっかりとリアクションや答えが用意されている。

緩やかで持続的な双方向コミュニケーションが延々と発生する。

だからやめ時が分からなくなる。

ドグマ2にはまだまだ改善の余地があるので、早いところアップデートで評価を落ち着かせてもらいたいなと思いつつ、評価を気にしない人は(僕の布教も含め)手に取り始めていて、喜ばしい限りだ。

ドグマは一人用のゲームで、そこに他者の評価は介入しない。自分と、生きている世界とのコミュニケーションを楽しむゲームだ。

その傍ら、非同期オンラインで緩く繋がりを持つポーンを貸し借りしながらフレンドやどこかの誰かの進捗を確認し合う楽しみもある。

「どこまで進んだ?」と言いながら、友達とドラクエやポケモンの進捗を確認し合うそれと似ており、結局はそれも一人用のゲームのモチベーションを上げるに留まっている。

他者の顔色など気にする必要はない。

余談

ドグマをあげつらうためにステラーブレイドを貶すような記事になって反省している。

SEKIROのような本格硬派アクションを楽しめる元気があれば良かったのだが、僕には難しすぎた。

not for meと書いた通り、クソゲー判定したつもりはない。

対極的な存在として例にあげただけだ。

ここまで言ってもなお気分を害したり曲解するようであれば、もう僕の記事を読むな(暴論)。

@yumineko
個人ゲーム開発者。開発の進捗は ci-en.dlsite.com/creator/20437 にて