※この記事は、「雪女と蟹を食う(以下、雪蟹)」の感想やレビューを書いた記事ではない。
当該作品を読んだことで生じた自分への影響を書いた、取るに足らないエッセイである。
そもそも、「雪女と蟹を食う」とはなにか。
以下の公式ポストを見てもらうと話が早い。
僕は雪蟹が好きだ。愛していると言ってもいい。
典型的な厄介オタクムーブをかますが、このポストが話題になるより前から知っていたし、読んだ時は衝撃を受けた。
あらすじを乱暴に一言でまとめるなら、強盗犯と人妻の不倫旅行である。
これだけ聞くと単なるAVのようだが、そうは問屋が卸さない。
強盗犯は希死念慮を抱えており、人妻は金や体を進んで差し出すという謎の行動を取る。
人生に絶望した男の前に現れた女神かと言われればそんなこともなく、何度肌を重ねようと、油断すれば寝首をかかれそうな毒を持っている。
男は男でただの欲深い刹那主義ではなく、過去を掘ればそうなるに至った経緯がいろいろ出てくる。
お互い素性をひた隠し、本音を建前で押さえつけ、強くなりきれずボロを出し、傷を舐め、惹かれあい、しかし死ぬまでの間の不倫旅行であるという事実が主人公をさらに追い詰めていく。
最終的に2人がどうなるかは実際に読んでもらうとして、最後まで失速することなく楽しむことができる完結作だ。
結果的に宣伝をしてしまった。
さて、僕は雪蟹の魅力を語るために、この記事を書いたわけではない。書くこともできるが、1話ごとに細かく語りだす単なるネタバレ転載になってしまうので、そっと心のなかにしまっておこう。
僕が書きたいのは、雪蟹を読んで生じた僕の人生の変化である。
まず、読んだ直後は著しく具合が悪くなった。これは、僕が転生前のアカウントでも記事にしており、あろうことか作者にまで見つかってしまった。
リンク切れになっているが、リンク先は@yuminekogame、僕の転生前のアカウントだ。(本件とは無関係の諸事情でヒヨって消してしまったのだが、作者本人からの激励を無駄にしてしまったことを大変深く悔いている)
記事の内容は「自分が思い描いていた創作の遥か上をいく完成度のものをお出しされてつらい」といった内容だ。
僕は昔から、男女2人だけにフォーカスした物語を描きたいとずっと思っていた。しかし、僕が属していた当時のオタク界隈は、ハーレムものばかり。
アニメも漫画もゲームも、2人だけで進行する物語はほとんどなかった。皆無とは言わないが、自分が望むそれとは微妙に異なるテイストだった。
だからこそ、いつか僕が理想を形にしてやると思っていたものだ。
そんな中、僕が思わず主人公に同調し、ヒロインに心底恋をしてしまうような、そんな絶大な破壊力を持つ作品が現れたのだ。
読者としての僕は色めき立ち、創作者としての僕は絶望した。
もう、自分がやらなくてもいいじゃん。自分がどれだけ本気を出そうとも、作者の足元にも及ばないことは明白だった。
あまり褒められたものではないが、僕はあまり作品に没頭できるほうではない。不満が散見しやすい性格だし、だからこそ自分で理想を追い求めるべく創作の世界に身を投じた。
そんな僕が、本気で魅入ってしまった。自分に不可能な領域の完成度だからこそ、本気で惹かれてしまった。ケチのつけどころがない。読めば読むほど、自分ならこうするという欲求が潰え、この作品の中にずっと浸っていたいという堕落した願望に蝕まれていった。
本気で死にたいと思っていた時期も、大体これぐらいの頃だろうか。
根無し草で今日まで生きてしまった自分にとって、創作というのは他に何も無い自分に残された最後の希望だと思っていた。
その意欲さえ潰えてしまったら、一体僕になにが残るというのか。
僕は雪蟹の主人公と違い、「女はイージーだな」「1回ぐらい鳴いてやろうか」なんて腐した感情はないが、「なにか努力をしているわけでもなく、ただ漠然と死にたさを抱えているが死ぬことはできず、無為に時間を潰し、しかし死とは正反対の食欲と性欲だけは一丁前にあるので病気でもない」という状況は完全に一致していた。
こんな果てしなくだらしない境遇を主人公にしたところで絶対に誰からも共感も理解もされないと思っていたし、僕自身そんな自分を肯定したいわけではなかった。
なのに、雪蟹はそんな僕の懸念を軽く吹き飛ばし、僕ですら認識できていなかった男の汚く弱い内面をえぐり出してきた。
しかも、これは後から知ったことだが、恐らく作者は女性である。だから何だと思われるかもしれないが、これも僕の絶望を増幅させた。
男の僕より男のキモさを熟知しているし、男の僕より男が望む女を描くのが上手い。
「どうやったらこんな話が書けるのだろう、作者は病んでいるのだろうか」
こんな失礼なことを言ったこともある。それに対しても、作者は丁寧に答えてくれている。
例によってリンク切れだが、これも僕の質問に対しての返答である。
なるほど、サイコパスらしい。それも「病んでるを通り越して」である。僕が敵わないわけだ。
つまり、作者は病みの部分も男の願望の部分も、本人の欲求のままに書いているわけではないということだ。
自分の価値観とは違うものであったとしても、ただひたすら冷静に深く分析し、合理的に理解し作品に落とし込んでいる(と思われる)。
僕が遮二無二感情的に欲求任せに創作に励んではスランプに悩まされる傍ら、元気に僕よりも遥か上の病みを表現する天才もいる。
いいかげんくどいと思われそうだが、本当につらく苦しかった。
が、それも昔の話。
僕は徐々にスランプから回復した。
かつて繋がりのあった方から親身にアドバイスをもらったり、新しく知り合った方から応援してもらったり、いろいろあった。のろけになるので控えめに書くが、当時は友人関係だった妻からの支えも非常に大きかった。
僕自身も、先駆者たちを参考に創作に対するスタンスを改め、徐々に自分の中で「これこそ僕の作りたいもの」と言えるものが掴めてきた。
雪蟹は、僕の人生にトラウマ級の大きな風穴を開けた、現状の半生で最も影響力の大きい作品である。
同作者の「童貞噺」も、嫌な予感がするのでまだ購読を再開できていない。いずれ読破したい。
ちなみに、「蝉の鳴く頃」という童貞噺の前日譚にあたる完結作もあり、こちらも非常に読み応えのある作品になっている。
僕が雪蟹を超えることは恐らく永遠に叶わないが、いつか「僕の創作に影響を与えた作品です」と言えるぐらいにはなれたらいいなと、勝手にそんなことを思っている。
エロゲなんだけどね、今作っているのは。
https://x.com/yumineko_com/status/1834843067838279895
実を言うと、今開発中のエロゲの他に、作りたい企画はあれやこれやと浮かんでいる。
今の明るいゲスな方向性よりも、もっとシックで病んだ作風だ。
が、今は今の作品の完成に全力を注ぎたい。
今の企画も、暗中模索で苦しみ続けた中、必死で探り当てて掴み取ったものだからだ。