飯を食って、入浴して、寝る。
たったこれだけの穀潰しな毎日でも、金がかかる。
「あーもう一生分稼いだ。もう何も考えなくても安泰だ」
そう言える日が早く来てほしいが、おそらく一生来ない。
小学生の頃は、我慢の毎日だった。遊びを制限されて毎日勉強を無理強いされ、せっかくの土日もやりたくもない少年野球をやらされた。
「高校受験で慶應志木に入れ。入ってしまえば推薦で大学まで自動で上がれる。学歴社会だから、慶応大学まで出たらエリート出世コースだぞ」
父から大真面目にそんなことを言われて育ったので、今はやりたくもない勉強や野球も我慢すれば、高校以降は一生遊んで暮らせるんだと、そんなことを思ったりした。
現実はそんなはずもない。僕は就職氷河期真っ只中を経験した世代だ。
そうでなくても、中学で父を亡くし、高校受験に失敗して完全にやる気を無くして成績が悪化し、不登校に陥ってニートへ転落した身なので、順風満帆な学歴社会のままであっても僕は何も成し得なかっただろう。
残されたのは半端な学力とプライド、そして「我慢の果に一生遊んで暮らせる」という非現実的な認識だ。
何かを一時的に頑張ることはできる。でも長続きしない。
早く一生遊んで暮らせるようになりたい。そんなことばかり考えている。
やる気がでないときは、先述したように食っちゃ寝だけで一日を終え、それでも金が減っていく日常に嫌気が差し、安直な考えだが死にたくなる。
ニートになってやる気をなくしてから今に至るまで、苦労してまで生きたくないという考えはずっと変わっていないし、今後もきっと変わらない。
性根が完全に腐りきってしまった。
今さら父のせいにするつもりもない。改善しようにも、今から性根を鍛え直す気力があったらとっくに抜け出せているというものだ。
創作の筆を折るとか、そんな話ではない。創作活動は、苦じゃないから続いている。遊びの延長で金を稼ぐ手段が、僕にはこれしかない。
そう、遊びだ。仕事のつもりでやっていない。何かを作り出す行為を楽しいと思える人間で心底良かったと思う。
いや、なまじ創作という半端に生産性のある行為を楽しめてしまうからこそ、他の仕事に行く気が起きずに固執してしまうのだろうか。
どっちでもいいや。
空から非課税の5000兆円が降ってきてほしい。