ゲームが作れなくなるスランプに陥ってから、もう何年も経つ。
ゆみねこの名義で出した最後のゲームは、人格診断MVだ。
2015年12月に出したゲームなので、実に8年もの間、ゲームが作れていないことになる。
ターニングポイントははっきりと分かる。ドワンゴが主催していた「ホラーゲームトリビュート」である。
人格診断MVは、当時の僕にしてはなかなか上手くいった方で、総合で6万回近く遊ばれ、敢闘賞ももらい、ニコニコ超会議でブース出展もしてもらった(既にアツマールはサービス終了してしまったし、僕も日和って各サイトから消してしまったので、今は再公開したPLiCy版でしか遊べないが……)
そんなこんなでドワンゴからちょっとだけ注目された僕は、「お金を出すからあなたが良しとするホラーゲームを作ってみませんか」という企画、先程のホラーゲームトリビュートに招待された。
僕を含め30人近くのゲームクリエイター達が集まり、知見や感想を交換し合いながら各々の解釈でホラーゲームを作った。
しかし、その中で唯一、僕だけがゲームを完成させられなかった。
当時の僕は自分の実力にかなりの自信を持っていたので、完成させられないなんて夢にも思わなかった。
あれ?もしかして、僕って自分が思っていたより大したことのない人間なのでは?
そう知覚してからの僕は、そんなはずがないと確かめるかのように様々な「クオリティの高いゲーム」を作ろうとしては、全く形にならず玉砕を繰り返した。
僕をよく知る人は、僕が何年もゲームをリリースしていないので、もうゲーム開発から引退したのではとすら思うかもしれないが、違う。
ゲームはずっと作り続けている。
ただ、形にならないのだ。
過去の記事で書いたように、僕は自分の嗜好をあまり言語化できない。
ゆえに「どんなゲームが作りたいですか?」という、ゲーム開発者なら答えられて当然の質問に、明瞭な回答ができない。
無理やり答えるとしたら、「無い」だ。
作りたいものがない。それを自覚してからは、地獄だった。
なぜ自分はゲームを作りたいのだろう。
なぜ、ゲームクリエイターであることにこだわるのだろう。
社会不適合者だから非就労者の道を選んだが、今さらこんな根源に疑問を持つようでは、今後僕は何を生業に生きていけばいいのだ、と。
ゲームで人生を棒に振ってきた。だから、自分にはゲームしかないと思った。
たったそれだけの話だが、もしかして安直な考えだったのだろうか。自分はゲーム作りを楽しんでいないのではないか。だから、何も思い浮かばないのではないか。
生きる意味を見出せなかった。苦しいなんてもんじゃない。安っぽくなるので本当は避けたい表現なのだが、本当に死にたかった。
しかし、衰弱により死にたいとまで追い詰められた人間には、もはや死ぬ気力すら残されていない。実によくできている。
少なくとも2年近くは、いつか気力が湧いてくることを祈りながら、死んだ魚のような目をしながら、ただ時間が過ぎ去るのを耐える日々だった。
しかし、独り立ちするぞと親元を離れてからのことなので、予算の都合的にそれしか買えなかった田舎のあばら家は雨漏りし始め、軽自動車は廃車寸前までガタがきて、食料も底を尽き、光熱費は延滞を繰り返し……と、稼ぎがない弊害で衣食住まで脅かされ始めた。
もはや創作どころの話ではなく、当然作りたいものなんて浮かんでこない。
さすがに限界を感じた僕は、残る力を振り絞って実家に帰り、療養して今に至る。
まだ作りたいものはハッキリとは見えてこないが、ひとつ分かったことがある。
なぜかは分からないが、僕はゲームが作りたいらしい、ということだ。
普通に考えて、雨漏りまでするような状況なら、なにか仕事を探して働こうという気になる。
しかし、あんな思いをしてもまだ、僕はゲーム開発にしがみついている。
自分に才能がない。
周りがどんどん「好き」を形にして躍進していく中、僕の時間はホラーゲームトリビュート以来、止まったまま。
そのショックに打ちひしがれ、怒りに震え、妬み、それでも僕はゲームが作りたいと、今もしがみついている。
だから多分、最低限の素質はあるのだろうし、それだけゲームを作りたいのだ。
幸い、邁進していた頃の付き合いもあって何人か相談できるクリエイターに恵まれているので、以前よりはだいぶマシになった。
作りたいゲーム像は未だあやふやだが「無い」しか言えない頃よりは形になっている。
……。
僕は、早く「産みの苦しみ」を実感したい。今の僕は、まだスタートラインにすら立てていない。
創作活動によって得られる苦しみと、その苦痛を乗り越えた先にある達成感と多幸感は筆舌に尽くし難い。
それは、経験した者にしか分からない刺激だ。かつては僕も味わっていた。
もう何年も、生きている実感がない。
今年は、なにか生み出せるだろうか。