誰しもそうであるように、僕にもかつて、メンタルが極限まで沈み続けた時期があった。
一過性のものではなく、何ヶ月も続く、果てのない苦しみである。
よくある「死にたい」ではない。希死念慮は、実はほとんど湧いたことがない。理由は単純で、死ぬのが怖いからだ。
生きてる理由なんてない だけど死にたくもない
こうして今日をやり過ごしてる
ミスチルの歌詞に例えるならそんな感じで、実際よく聴いていた。
何にもやる気が起きなくても、曲を聴くことぐらいはできる。音楽のいいところは、漫画や映画・ゲームのような娯楽と比較して、極めて受動的かつ短時間で刺激を得られるところだ。
特に聴いていたのは、Lyu:Lyu(現CIVILIAN)の「アノニマス」だ。
動画を貼ったのに申し訳ないが、MVはやや幼稚に感じられてあまり好きになれなかった。あくまで歌詞に共感していた。
死というフレーズを使わない歌詞が、強制的に押し付けられた人生という苦痛に不満をもらし、しかしドロップアウトする勇気もなく、日々を無駄に食い潰していた当時の僕に刺さった。
MVで好きなのは、同じくLyu:Lyuの「メシア」だ。
こちらは歌詞も好きだが、バチバチの失恋ソングなので、自分の過去と照らし合わせて語るのは控える。純粋に、どこが好きなのかを語っていこう。
僕は昔から、現実逃避に明け暮れる男女が居場所を求める話が好きだった。
きっかけはフリーゲームの「ナルキッソス」で、他にもアダルトゲームの「あやかしびと」のプロローグや、漫画「雪女と蟹を食う」など、様々な作品に没頭した(各作品の詳細な語りは、また別の機会で)。
メシアもそのひとつで、映像は死体処理に追われる男と、殺人の張本人となった女の物語だ。男の心境は追いやすいが、女の本心は様々な解釈ができる内容になっている。
歌詞の内容は、ざっくり言うと「もうお互いを必要としていないけど、でもあの時君がいてくれたことで、確かに僕は救われたんだよ」といったところだ。
メシアは救世主のことで、「あの頃の君は、僕にとって救世主だった」という内容だ。
しかし、救世主という文字に主とあるように、その言葉を使う時点で対等な関係ではない。
どこか突拍子もなく現れた女神のような存在で、深く知るうちに次第に深淵を覗くのが怖くなり、男は逃げ出してしまう。
だから映像でも女の真意はぼかされたままだし、殺人の後に意気揚々と食事をしているなど、普通の人間の感性をしていない。
先ほど挙げた男女の現実逃避の話も、基本的に男女のパワーバランスは歪で、特に女性側がミステリアスに描かれている(雪蟹は特にそう)。
これがね、とにかく大好きなんだよね(小学生並みの感想)。
モラトリアム、と言っていいのかはよく分からない。とにかく、男女の関係を描く話が大好きだ。ああ、忘れていたけど「沙耶の唄」もそうだった。
「よふかしのうた」も同様の理由で好きなのだが、二部になってキャラがわんさか増えてから鬱陶しくなって読まなくなってしまった。
やはり、2人だけで物語を展開させるのには限度があるのだろう。
逆に言うと短編向きなテーマなので、いつか僕の創作でも表現してみたい。
余談
モラトリアムといえば、「青い春」という映画も大好きだ。
こちらは逆に男しか出てこない泥臭い内容だが、タイトルからは想像もつかないほど陰鬱な暴力映画で、しかし生半可な青春映画よりも青春している、爆発的な映画だった。
これもまた、気が向いたら記事にしたい。