今から話すのは実話だが、特定を避けるために嘘の情報も混ぜて書くことにする。
また、辛辣な物言いだが中傷・侮蔑する意図はないことを予め断っておく。
何年も丹精込めて作ったゲームが、予想の半分、いや、恐らくは1割も売れなかった人がいる。
なぜだろうか? その答えは明白だ。
つまらないからだ。
シンプルに、とても、とてもつまらないからだ。
ゲームとしては面白いが脚本がダメとか、あるいはその逆とか、そういう話ではない。
徹頭徹尾、どこを取っても壊滅的なまでに面白くない。
脚本は、もう基本のキすらなってない。物語の動機が不明なので先を読む気にならず、キャラクター達が何を目指して戦っているのかも不明。
世界観の説明も一向になされないので、現実世界なのかファンタジーなのか、どの国のいつの時代の、どの程度文明が発展した話なのかは、グラフィックから何となく掴むしかない。
よく分からない世界で、よく分からないキャラクター達が、よく分からない理由で戦う。
面白いはずがない。
ゲームとしても退屈極まりない。セールスポイントが何もない無個性なシステムであることは、この際「王道」「硬派」という売り方もあるので目をつぶるとして、ゲームの基本である「試行錯誤」が存在しない。
ゲームとは、インタラクティブな娯楽である。インタラクティブとはすなわち双方向的という意味で、映画や漫画と違ってプレイヤーの介入によって結果が変わるのが、ゲームが他の娯楽と異なる最大の特徴である。
プレイヤーの介入とその結果を娯楽に落とし込むためには、「こう介入したらこんな結果が得られるであろう」という予測をプレイヤーにさせ、その結果が正しかった場合は盛大に褒めて気持ちよくさせるというプロセスが必要になる。
つまり、
プレイヤーに結果を予測させ考える時間を与える
予測が正しかった時に「盛大に」褒める
という二段階のプロセスだ。一部の例外を除き、世間から評価されているゲームには皆これらのプロセスが(やり方は異なれど)存在している。
ゲーム作りを生業にする身としてはあまりに基本的すぎて、わざわざ書くのが恥ずかしくなるほどだ。
料理で言うなら「炒め物には油を使いましょう」、運転で言うなら「前を見ましょう」ぐらい、基本中の基本である。
その基本が、ない。
快適さを重視するために、画面の切り替えからバトルの進行速度に至るまで、とにかくサクサクと高速に進行する。
確かに快適ではあるかもしれないが、その弊害として、例えばバトルなら誰がどんな攻撃をしているのか認識する暇すらなく、なんかバシバシと軽い効果音が鳴って気がついたら敵がいなくなっている。
物語ですら、間というものが存在せず間髪入れずに演出が切り替わるので、情緒がないどころか場面の転換を認識しそびれることすらある始末だった。
そのくせ、素人特有の「見どころは取っておきたい」癖が炸裂しており、やたらと勿体つけた物言いや佳境を先延ばしにした時間稼ぎの展開が目立つ。
もういい。書くだけ疲れる。
とにかく、致命的と言ってもまだ言葉が足りないぐらいに面白くない。
売れなくて当たり前。むしろあれがヒットしていたら、僕は自分の審美眼を根底から鍛え直さねばならないと思うほどだ。
そして、僕の予想通り、それは悲しいほどに売れなかった。
価格ではなく質で価値を示したいからセールはしないという言葉もいつの間にか撤回し、たたき売りを繰り返してようやく当初の倍まで売れたようだが、元が少ないのでそれも焼け石に水である。
しかし怖いのはここからで、なまじセールで売上が伸びたからだろうか、彼の者は売れ行きの悪さを「届ける努力が足りなかったからだ」と認識し始めた。
つまり、自分は良い物を作っているので、あとは届くべき人の元へ届けば売れるはずだ、という考えである。
これは、恐ろしいことだ。
客観的に見れば「つまらないから」で片がつく失敗に、気付くことができない。
驕った態度かと言われればそうとも言えず、自分が作った自信作を「つまらない」と冷静に評価できる人間はそう多くない。
まして、何年も入念に丁寧に作りあげてきた自信作がコケたからといって、おいそれとそれをセンスの欠落だと認めたくはないだろう。
その単純な理由に気づけない理由、それは紛れもなく、彼の者が孤独だからである。
孤立している、と言った方が正しいかもしれない。
1人で挑むインディーゲーム開発は、孤独との戦いである。
自分の中にある正解と、世の中の正解のギャップを埋めるべく、形にして世に示してやろうと皆が情熱を燃やしている。
そこに他人が介入できる余地はほとんどない。双方向なゲームを作るために、単一方向な作業に没頭するとは何とも皮肉な話だ。
しかし、作ったゲームを遊ぶのはプレイヤーだ。そのフィードバックを得て次回作に挑むのであり、そこには(直接やり取りを交わすことは無いにしても)双方向なコミュニケーションが存在する。
開発者が、ゲームを作る。
プレイヤーが受け取り、遊び、リアクションする。
開発者が、それを見て参考にする。
ゲームに限らない話だが、そこには双方向的なゆるいコミュニケーションが確かに存在している。
ゲームが売れないとそれすら期待できなくなってしまうが、少なくとも身内や知り合いに忖度のない意見を交わせる仲間がいれば、そう難しい話ではないはずなのだ。
孤立とは、すなわちそういうことだ。
孤独は寂しさなどの感情の状態を表すが、孤立は実際に無援の立場に身を置かれている状態を指す。
創作活動は孤独だ。しかし孤立してはならない。
他者からの忖度のない感想をやり取りするという、双方向的なゲームに身を投じてこその創作活動なのかもしれない。