ネコメンタリーという番組を見た。
作家と愛猫の関係を描く、異色のドキュメンタリーだ。
流し見ゆえに作家の名前は失念してしまったが、その番組でこんなことを仰っていた。
「自分にとって猫は、無くてもいいが有ると人生が豊かになる存在。自分の作品もそうでありたい。世の中における自分の作品の位置づけが、自分と猫の関係と似ているなと思う」
原文ママでは無いので齟齬があるかもしれないが、概ねそんな感じだった。
なるほど、と腹落ちした。
30を過ぎて思うのは、「やる気」の信頼性の低下だ。
やる気だけで物事を成し遂げられたのは、せいぜい10代まで。20代からは理屈や周りの目を気にし出すし、30代になると体力的な観点からも限界が近くなる。
無論、これはあくまで僕の話で、何歳になっても精力的に活動している人は数多くいる。
しかし、なんと言えばいいのだろうか……。
「やるぞ!うおおお!」
とやる気を昂らせたところで、そのやる気を何週間、何ヶ月、何年と持続させるのは難しい。
そして、往々にして創作活動は長期に渡る。
短期的(と言うより短絡的)なやる気だけでは、すぐにガス欠を起こしてしまう。
短絡的ではなく具体的な目標設定があればいいのかと言われるとこれも懐疑的で、「毎日成長!」みたいな暑苦しいスポ根を掲げると、次第に苦しむこと自体を努力と錯覚するようになり、本来の目的からどんどん逸れていく人をチラホラ見かける。
毎日成長することなんて不可能だ。
「昨日の自分より1%だけ頑張ってみよう」
なんて言われるが、仮にそれを毎日続けると1年経つだけで3778%以上の成長になってしまう。
1年でそんなに成長するはずがないだろう。人間の実力には限度がある(ちなみに2年だと14万%以上、実に1400倍である)。
調子が悪い時もあるし、野暮用が入って邪魔されることもある。何より、生活していくだけでも昔よりだいぶ難易度が上がっている中で、生活必需品ではない作品のために活動するなんてよっぽど元気な人じゃないと続かない。
調子が悪いならさっさと休んで回復してから取り組んだ方が効率がいいのは言わずもがなだが、そこでやる気に囚われると「休むのはやる気がない」「今苦しんでいるから成長できている」なんて見当違いな努力に興じかねない。
というか、そういう人を実際に目の当たりにしている。自戒せねばならない。人の振り見て、というやつだ。
創作は自分の全てであるとか、生きがいだとか、色々な暑苦しい定義を僕もしてきたが、スランプは克服するどころか悪化する一方だった。
そこでふと周りに目をやってみると、常に朗らかでありながら毎日淡々と作業をし続ける狂人たちがいることに気がつく。
彼らから話を聞くと、やはり根性論は出てこない。至って現実的なセルフケアだったり、心身をいたわる気構えをしていることが分かる。
打ち込むべき活動に対しても、適度に距離を置いている。手抜きという意味ではない。
「命賭けてますから」とまで仰る仕事人間ですら、「無理は禁物です、自分のペースがあるので」と穏やかに話す。
僕も、そういう向き合い方の方がいいのかもしれない。