1月31日。3ヶ月に渡る婚約者とのプチ同棲を終え、実家に帰宅した。
やっと高性能なPCを触ることができる。3ヶ月ぶりに再開したゲーム開発は、最初こそリハビリに近かったが、すぐに感覚を取り戻した。
設計を入念にやっていたおかげか、自分が書いたコードが何をしているのかもすぐに思い出せた(業界では、昨日の自分が書いたコードは他人のものと思えという教訓もあるぐらいだ)。
そして、あることを思い出す。
ゲーム開発は、日々の地道な積み重ねなしに成り立たない、ということだ。
明日はあれをしよう、これをしよう。
ToDoリストをサクッと作り、湧き上がる意欲を抑えながら集中力の回復を期待して就寝する。
そして翌朝、作業を開始するも、すぐに思いもよらぬ障害にぶち当たる。
その解決に追われ、別の課題が発生し、またその解決に追われ、いじっているうちに他の箇所が気になり……と、ToDoリストの項目はどんどん追いやられていく。
そして気がつけば日は暮れ、成果は微々たるもの。傍から見た変化がゼロどころか、下手したら退化することすらある。
そして、「ゲーム開発は日進月歩だ」という記事を書こうとして、ふと思いとどまった。
日進月歩って、亀の歩みみたいな意味だっけ?
そして検索して、全く違う意味であることを知る。
正しくは「牛歩」である。
しかし、牛歩という熟語をどう扱えばいいかわからない。
「牛歩の歩み」はなんだか重複表現な気がする。
実際に例文を調べてみたら、牛歩の歩みという表現は鈴木光司氏の「ループ」でしか使われていないようだった。
ではどんな用例があるのかというと、例えば「牛歩する」「牛歩のごとく」「牛歩千里(ゆっくりでも着実に進めば結果が出るという意味)」「牛歩として進まず」などがあった。
どれも使いたくなる表現だが、ここは牛歩千里を推したい。結果が出るよという前向きな教訓も含んでいるからだ。
ゲーム開発は牛歩千里である。
うん、かっこいい。