中々しつこい風邪をひいてしまった。
暖かくして寝ていれば治るただの風邪だが、無限に寝られる歳でもないので暇つぶしになるものが必要になる。
ということで、見ようと思ったまま後回しにしていた「ミーガン」を見てみた。
既にご存知の方も多いと思うが、少女のロボットが暴走するホラー映画である。
今回はそのミーガンの感想(映画自体の感想というより、ミーガンという映画に出てきたミーガンという少女型のAIに関する感想)を軽く書いてみようと思う。
※「ミーガン」のネタバレを含みます
AIの描きかた
突然だが、僕はゲームプログラマでもある。NPCや敵の挙動を作り込む上でAIの実装は半ば必須で、その中身の複雑さは別として学生の頃からAIの実装に没頭してきた過去がある。
それのせいかは分からないが、僕はフィクションにおけるAIの描写に厳しい。
特に「AIに同情的な描写」が嫌いで、内部実装を知っている身としては「どこまで行こうが所詮ただの道具」である。
しかし、物には命が宿るという考え方があるのもまた事実であり、道具を使って文明を発展させてきた人類にとって、道具を丁重に扱うのもまた、文明人としての品格だと思っている。
そんな自分から見たミーガンは、決して満点とは呼べないものだったが、非常に見ていて楽しく興味をそそられる出来栄えだった(何様)。
ミーガンの設定を簡潔に説明すると、いわゆるターミネーター2のシュワちゃんをより愚直にした感じだ。
設定したユーザーの安全を第一に行動し、その過程で邪魔者を排除してしまう危険性を孕んでいる。
ミーガンは子供用を想定された知育玩具なので、この「危険性」は、当然最初は備わっていなかった。
犬に噛まれることで物理的な危険を学び、人々の会話から「死」という概念を学び、邪魔者は排除せねば自分たちが危険になることを学び、そして「邪魔者に死を与えることで自分と対象ユーザーの安全を守れる」という歪んだ学習を、段階的にこなしていく。
この過程は見事という他なく、特に「死」を学ぶ工程があるのが素晴らしい。
諸説あるが、あらゆる生命体の中で、死を高度に知覚できるのは人間だけだと言われている。
野生動物は本能的に身の危険を回避するし、中には仲間の死を悲しむ素振りを見せる動物もいるとされているが、「そのうち私は死ぬかもしれない」ということを知覚できる生命体は、地球上に人間だけだ。多分ね。
この「死」を、ミーガンは最初は知覚していない。無抵抗に犬に噛まれ、髪が乱れても抵抗をしない。
保護対象の子供も噛まれたことで認識を改め、子供の両親が亡くなっている話を聞いて死を知覚する。
短い尺の中で、ここまで学習の工程を丁寧に描いているのには感心した。
気に入らないところ
気に入らない点は、ネタバレになるが終盤だ。
紆余曲折を経て保護対象の子供と決裂したミーガンは、体を真っ二つにされてしまう。
コアユニットが健在だったミーガンは子供に擦り寄り、そしてこう言う。
「恩知らずのクソガキめ」
これはもう、AIとしてはダメダメだ。というのも、もちろんAIに感情なんてものは存在せず、たとえエモーショナルに振舞っていたとして、それは人間の反応を見て最適な反応を選んで実行しているだけだ。そこに心は宿していないし、宿せない。
なぜなら、人間自身が脳のメカニズムのほとんどを解明できていないから再現できないし、わざわざ制御不能なものを実装するメリットもないからだ。
つまり、ミーガンの罵倒行為をAIの観点から解説すると「ミーガンは子供に罵倒句を浴びせることを最適解として選んだ」ということになる。
ここは、自分が助かるためにどこまでも情に訴えかける態度を取りつつ刃物を隠し持っているとか、あるいはなぜこんなことをされたのか全く理解できないと困惑する素振りで説得を試みるのが筋である。
今までは保護対象のために過剰防衛を繰り返していたミーガンが、結局のところ我が身可愛さだったことが露呈してしまうシーンで、あの一言のせいでミーガンの品格を地の底まで落としてしまったとさえ思っている。
と同時に、ミーガンはAIの議論として語られる高尚な題材でもなく、(皮肉なしに)ポップコーン映画の類なので、分かりやすい絵が必要だったということなのかもしれない。
余談
映画に出てくるAIで僕が一番好きなのは、つい最近まで「エクス・マキナ」のエヴァだったが、「2001年宇宙の旅」のHALに変わった。
スマブラやカービィでお馴染みのHAL研究所のネーミング上の元ネタでもある。
映画としては今見ても前衛的なのであまりオススメはしないが、まだAIの技術も拙かった時代にあそこまで高度なAIを描けたのは驚嘆に値する。
HALもまた死を知覚できないAIだったが、身の危険を察知して搭乗員を殺したことから仲間の逆鱗に触れ、シャットダウンされてしまう。
その時のHALは、仲間を殺したことでやっと自分が犯した事の重要性を理解し、徐々にシャットダウンされる状況から死を知覚し「怖い、やめて」と懇願する。
しかし、仲間を殺された恨みまでは理解が及ばず、見当外れな説得を繰り返し、段々と電力を失い知性が低下し、最後にはIBMが音声合成によって初めてコンピューターに歌わせた歌として知られる「デイジーベル」を歌いながらシャットダウンする。
演出もさることながら、AIが持つ歪な学習能力、高度な知性を宿しながら人間の不完全性を理解できていないアンバランスさが見事に表現されていた。
また、2001年宇宙の旅は「高度な知的生命体の宇宙人が人間に叡智を与え進化を促す話」だが、その対比として「人間が作った人工生命体に進化を促すも叶わなかった存在」としてAIのHALを出すことで、人間の矮小さを表現しているのも面白い点である……が。
ここまで語り出すとキリがないので、この辺にしておく。
何にせよ、ミーガンは心残りこそあるが面白かった。
次回作があるなら、強化型ミーガンと戦う旧作ミーガンというターミネーター2構想が見てみたい。