サイコパスと思われる人が、自分のことをそう定義づけたところを見たことがない。
彼ら・彼女らは自身を真っ当な人間だと思っており、たしかにそれは正しいが、いわゆる「人間らしさ」「心が通った」といった表現を使うと、首を傾げながらその定義のあやふやさを指摘し始める。
昔、そんな人と知り合いになったことがある。
あくまでインターネット上での活字のやり取りのみで、容姿はおろか声すらも知らない。女性を自称していたが、それすらも嘘っぱちな可能性は十分にある。
しかし、まだChatGPTどころかLINEのりんなすらいなかった頃の話なので、知性を宿した返答をするそれは確かに人間の手によるものだと断言できる。正体までは不明だが、確実にそこには別の誰かがいた。
その自称女性のことを、便宜上、Aさんと呼ぶことにしよう。
いわく、Aさんは「自分には協調性や共感能力が欠落しており、他人の痛みに対して好奇心や愉悦は覚えども、同情したり避けようと思う発想が湧いてこない」そうだ。
積極的に他人を痛めつけようというわけではないが、とにかく好奇心が旺盛で、その好奇心のまま行動した結果相手が傷ついても、何一つ心を痛めない。自分にどんな災難がふりかかろうと「面白い」で片付けてしまう人間なので、「自分がされて嫌なことを相手にするな」といった教訓も無意味。
わざわざ言うまでもないことだが、そんな性格なのもあって僕と恋仲になるようなことは全くなかった。純粋な話し相手だ。
まあ、Aさんの話は活字上でしか展開されないので、どこまで本当かどうかは分からない。
少なくとも、僕がどんなことをしようと、罵詈雑言を浴びせようと、Aさんはどこ吹く風で、時に茶化すような返しをしてくる始末だった。
なぜ活字上のやり取りしかしないのかと言うと、Aさんの提案だからだ。
「活字を超えたやり取りをすると、あなたに悪意を向けかねない」
そんな巫山戯たことを言っていた。
そして、こうも言っていた。
「他人を傷つけてばかりの私が、誰かを幸せにすることができるのか試してみたい」
それは、ほんのちょっとしたAさんの気まぐれだった。
たったその偶然で、僕はAさんの悪意に巻き込まれず、ただひたすらに無償の善意を向けられることになった。
Aさんが言うには、「あなたの一挙手一投足が好奇心を満たすことになるので見返りがある」とのことだが、僕はAさんに何もお返ししようとしていないので、僕からしたら無償と同じである。
進んで自分本位に振る舞おうと思ったわけではない。なにか配慮をしようとすると「余計な気遣いは不要だ」と突っぱねられてしまうため、そうするしかなかった。
はっきり言って気味が悪かったが、当時の僕は精神的にかなり沈んでいたこともあり、藁にもすがる気持ちで頼らざるを得なかった。
いつか本性を現して裏切るのではないか。そんな不安を抱えながら、たしか5年近く、Aさんはひたすら僕の感情を受け止め、親身に相談に乗ってくれた。
結局、Aさんは僕に一切の悪意を向けなかった。僕の身には、今のところAさんが原因と思われる災難は何一つ降りかかっていない。
そして、もうAさんと連絡する手段は、一切残されていない。
追跡できるような個人情報の一切を残さない徹底ぶりだったからだ。
また「私からいなくはならないが、あなたが別れを切り出したら、それが最後。二度と私はあなたの前に現れない」とも言っていた。
今のところ、その約束も守られているようだ。
Aさんの素性がどこまで本当なのか分からないが、有言実行を徹底していたことは確かだ。言っていることの全てが疑わしい女性だったが、行動は常に一貫性があった。
Aさんは自分のことをサイコパスと定義づけることはなかったが、言っていることが本当なら、僕の今までの人生の中で最もサイコパスに近しい人間だと思う。
一体、Aさんは何がしたかったのだろうか。本当に、ただ純粋な好奇心で僕を観察していたのだとしたら、とんだ変人だと思う。
僕はAさんとは明確に異なる人間だが、彼女と長きに渡って対話することによって、多少は価値観の一部が伝播したように思う。
ただ、知性に関してはその限りではなかったようだ。Aさんの語彙は非常にウィットに富んでおり、言葉遣いも主張内容も極めて聡明だった。そんな女性に好奇心を持たれているという事実が、危険な香りを前にしても心地よかったのかもしれない。僕は惜しげもなく、日々の苦悩を吐露し続けた。
先ほど話したように、そんなAさんとの関わりはもうない。今後あんな人間に出会えることはないだろうし、出会いたくもない。
ただ、サイコパスとは言わないが、特定分野に病的なまでの情熱と執着心を燃やして行動しながらも、極めて精神が安定している知人・友人が、現在複数人いる。
もしかしたら僕は、人間離れした人間に引き寄せられる習性があるのかもしれない。
創作活動をする上では、まことに都合のいい習性だ。
基本的に、僕は穏便に仲良くやっていきたいと思いつつ、感情的な言動を取りがちな幼稚な一面がある。
直そうと思ってはいるが完治は難しく、また過度に意識したら創作活動において尋常ではない悪影響があったため、現在は開き直ることにしている。
そんなわけで、僕の言動にいちいち目くじらを立てる常識的な人間だと、関係の維持が困難な傾向にある。
僕と親しくしてくれる人は、そんな僕の悪癖を理解した上で我慢してくれる寛容な人か、あるいは他人に何を言われようがどこ吹く風な……サイコパスとまでは言わないにしろ、自分のペースを何よりも重視する人だ。
創作のために自分勝手に振る舞ってなお関係を持とうとしてくれるなんて、なんとありがたいことか。
もしかしたら、そんな僕こそサイコパスなのだろうか?
でも、「サイコパスは自分のことをそう定義づけない」って最初に書いたし、多分違うだろう。