突然だが、僕は個人で活動するゲーム開発者だ。
個人というのは、組織に属していないというだけに留まらず、仕事上の契約先も存在せず、完全に誰とも関わらずに一人で黙々と開発に没頭できる状態を指す。
最初は気楽だと思った。
勤務日数も時間も完全に自由であるが故に、無限にサボり続けても誰にも迷惑をかけない。
それは同時に、自分を律することがとても困難な環境にあるということでもある。
人と関わることを拒絶し続け、ただひたすらに黙々とゲーム開発をし続けた結果……僕は浮世離れした、多くの人間が嫌う非常識な人間に成り果てた。
このままではまずい。
32歳になって、ようやく危機感を抱いた。
そこで僕がとった選択肢は……なんとバーテンダーのアルバイトをすることだった。
なぜバーテンダーか
バーテンダーとして働こうとした一番の理由は、単に行きつけのバーで働いてみたくなったから……だけでは話が広がらないので、もう少し掘り下げる。
その行きつけのバーは、地域一帯の中でも群を抜いたホスピタリティを誇る品格のあるバーで、それでいて緊張した心を解きほぐす温かさも兼ね備えている。
本当に素晴らしい場所だと思う。
そんな場所で、人として尊敬できるマスターの元で働けば、何か自分の中で人間として成長できるのではないか。
そう思い、歴戦ニートな孤独のデスクワーカーから、いきなり接客業の頂点であるオーセンティックバーのバーテンダーという、あまりに飛躍しすぎた挑戦が幕を開けた。
普通にきつい
想像していた何倍も厳しかった。
ただ難しいだけではない。先述した通り、僕は歴戦ニートである。
ニート生活を10年以上続けたガチの穀潰しであり、社会常識など微塵も存在しない社会のカスである。
つくづく、プログラミングを趣味にしていて救われたと思う。
そんな調子なので、普通の人なら入って2日でこなせる当たり前の業務が、10日経っても全くものにならない。
いてもマイナスになるような失礼極まりない接客を繰り返し、数々の常連客を不愉快にし、マスターの肝をヒヤヒヤさせ続けた。
毎日数え切れないほどの指摘を食らい、正直このままでは給与の支払いは難しいとまで言われた。
言い忘れていたが、僕は自ら無給で働かせてほしいと頭を下げた。
給与を支払うに値する人間だとは到底思っていなかったからだが、それですら難色を示す程に僕は非常識の無能だった。
そこから今へ
本当につらく苦しかったが、短期間の間で数え切れないほどの学びが得られた。
接客業と個人ゲーム開発。一見すると全く交わりがない別の業種である。
しかし、例えばトイレットペーパーの切れ端ひとつすら無駄にしない徹底したコストカットや、どこまでも細部に配慮をして最高のおもてなしを提供する妥協のない経営理念、そして何よりマスター本人のあまりにストイックな生き様は、僕にとっては第二の人生と言えるほどに刺激的で発見の毎日だった。
例えば、自分一人しか関わりのない仕事であっても、そんな自分を律するために経営理念をしっかり掲げようだとか。
例えば、画面の向こうにいる見えないプレイヤーが、今何を考えて操作しているのかをつぶさに観察して配慮しようだとか。
例えば、開発作業のひとつひとつをより時短して効率化できないか、時間と費用のコストカットができないかを常に考え続けるだとか。
そんな、社会で働く人間ならできて当たり前な考え方を、マスターはひとつひとつ丁寧に、しつこく質問攻めをし続ける僕に真摯に説明し続けた。
感謝してもしきれない。もちろんその思いは、きちんと言葉にして伝えてある。
今後
とはいえ、バーテンダーのアルバイト経験がゲーム開発にダイレクトに生きるかと言われれば、それもまた考えにくい。
逆も然りだったからだ。プログラミングの経験は、接客業に何一つとして生きなかった。
しかしそれは、僕が痛みから逃げ続け、ニートとして現実逃避し続けた先に仕方なくプログラミングという仕事にありついたからに過ぎず、人生で初めて理由と覚悟をもって仕事に取り組んだ今なら、確実に今後のゲーム作りも変わってくる自覚がある。
今すぐ結果が出るわけではないが、僕の過去記事をいくつかご覧になれば分かるように、僕は長らく創作活動のスランプに陥っていたため、そこからは脱却できるのでは無いかと見ている(楽観的かもしれないが)。
そんなわけで、しばらく低浮上が続いたが、またCi-enやTwitterでの僕の活動を応援して頂けると、とても嬉しい。