昨年から、母親との数ヵ月に一回の会合はJAZZ LIVEがメインとなりつつある。母とはあまり楽しく話せない経験の方が強いのだが、母がはまっているJAZZ LIVEについていくようになってからは、会うのが楽しみになってきている。
目の前で繰り広げられる生演奏と、温かくて美味しい料理とともに、幸せたっぷりの時間を全身で感じる。
一昨日は、蒲田の喫茶店での演奏を聴きに行った。身体に伝わってくる音の振動、予想外で予定不調和なリズム、それぞれ単体で面白いリズムや音、と同時に絶妙なバランスを作っている調和。普段はなかなか感じることのない面白さをJazzからいつも学ばさせてもらっている。
本日は歌ありで、また違った良さがあった。知っている曲もいくつかあり、特にTOP OF THE WORLDは、みんなノリノリで歌っていた。自分も懐かしいなと思いながら聴いていた。
帰りは蒲田の駅で母親と別れ、階段を駆け上がっていく母親を見たときに、元気にやってそうでほっこりした。私は、電車の中で、撮影したTOP OF THE WORLDの動画を見ていたら、なぜか涙が止まらなくなってしまった。
蒲田という場所は、高校時代に何度も通ってきた駅なので思い入れが少しある。駅には降り立ったことはなかったが、京浜東北線の電車内で川崎から蒲田、大森、大井町といった駅は、高校時代に何度も見てきた車窓だ。
当時は、片想いの恋に頭を悩ませしんどかったときや、勉強がわからず頑張れず思うようにいかないとき、友達と自分との差をどんどん感じて孤独感を感じるとき、理想の自分と正反対の行動ばかりして情けなく感じる時、周りを気にせず英単語帳を開いて誰よりも勉強してた時などがあり、毎日感じることは様々。
心が追い付かないほどに悩み、もがいていた。時に車内で涙をこらえきれず、腫れた目を隠すのに必死だったりもした。
友達のほとんどが横浜方面に帰るなか、川崎方面に帰る道のは自分一人だったので、どこか振り返りの時間として安心感を感じていたようにも思う。
特に座席のクッションはふかふかで、冬は足元に暖かいヒーターがあるので、足を出さないといけない高校生にとっては神様のような救いだった。ヒーターの暖が強い、端から二番目三番目を好んで、よく「1人椅子取り合戦」をして帰っていた。
そんな高校時代を象徴する思い出として、もう一つ、アコースティックギターの弾き語りがある。
当時、私は小さい頃から打ち込んでいた新体操を半強制的に辞めざる負えず、消化不良感があった。そんなときに自分の想いや感情を伝える手段としてアコギの道を切り開いたのだ。
YUIやmiwaに憧れて、一曲も弾けないのにライブを決めてくる。というストイックスタイルで始めた。
文化祭でもライブをしたのだが、その時の一曲がTOP OF THE WORLDだったのである(どういう経緯だったかは思い出せない) 。そのために夏休みは自分の部屋で毎日何度も壁に向かって練習した。苦しいときも歌い始めれば、風船に乗ってるかのように気持ちが晴れたし、ギターだけは常に自分の側にいてくれる、裏切らない大切な存在だった。孤独や社会のしがらみ、たくさんの世の中に対する不満、苦しい気持ちを弾き語りにぶつけて紛らわしていた。そしていつの間にか喉や指から血が出るほど練習していた。
と、懐かしの電車の中で、ジャズライブの動画を再生し、懐かしのTop of the worldを聞いたら、あの頃の自分の日々を思い出し、涙が止まらなくなってしまったのである。公共の場で泣いたのは何年ぶりだろうか。
急いで動画を閉じた。
何に泣いてるかもよくわならなかったのだが、心理的にしんどい日々が多かった高校時代。今の自分は、あの日の自分に恥じない自分であれているだろうか。誇れる日々を送れているだろうか。そんなことを問いかけたくなるのであった。
また、あの時、なんとか踏ん張り頑張ったからこそ、当時の自分には見えなかった幸せや発見を今感じることができている。
涙の意図は、過去の自分への感謝だったのかもしれない。
未熟だったし、もっと良いやり方があったと思うが、あの暗黒期から這い上がれたことは、自分の頑張りしかり、周りのサポートしてくれた人、関わってくれた人のおかげだ。その全てに改めて感謝をしたいと思った。
取り留めないが、高校生の頃のように感情が揺さぶられた瞬間を書き残してみたくなった。
コーヒーが美味しそうだった(飲めない)のと、料理もダイエット中のギルティーを一切忘れて堪能してしまった。いつかまた人生のご褒美として行きたい。