空虚

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小説を書くのが好きだが、小説家になろうという夢を捨てようと努力した時期がある。みなさんが想像するとおり、「小説家」になる、というのは非常に狭き門を通ることだ。

日本にはいくつもの新人賞があるが、結局のところ小説家として一人前に認められるような賞というのは数えるほどしかない。しかも、その数えるほどしかない賞で受賞できるのはよくて四、五人で、時にはひとりもいないことだってある。対して「小説家になりたい」とのたまう変わった人々は世の中にごまんといるのだからたまったものではないね。

そういう背景があって自分にとって小説家を目指すとか、なるというのは「現実可能性の極めてすくない、空想のような計画」だった。それは自分にとって魅力的な話だが、そんなものに憧れるのは時間の無駄だという考え方だ。

だがここで問題が起きる。「普通に就職をする」という現実的なはずの選択肢が自分にとって、どうも予想以上に困難だった。一年目の就職活動はうまくいかず、二年目に対策と練習を積んで、もう一回とリベンジをしてみれば、一年目よりうまくいかなかったのだから心が折れてしまった。

どうすればいいのか? 段々頭が回らなくなる。これは比喩ではなく、本当に思考が止まってしまうのだ。とてつもなく高く、どこまでものびる壁があって、押しても叩いても、回り込もうとしても壁が自分の思考という直線を遮って、通してくれないのだ。頭に鉛が入っているようで、机に突っ伏したり、ベッドから起きれなくなってしまうのだ。

幸いなことにアルバイトだけはしていたので、定期的に外へ出ることはできた。できたけれど、歩きながら息苦しくなったり、道路や線路に飛び出したくなったりしてしまう。ひとつ電柱を見れば「縄が掛けられそうだ」と考えてしまう。

人間は追い詰められてしまうと、そういう視界に映るものから死を連想してしまう。ただ幸い、就職活動から離れていくうちにこの憂うつのような症状は和らいでいった。いまでは死んでしまうことにそこまでの意味があるようには思えない。ただこれは価値観が変わっただけだ。特別な真実に気付いたわけではない。価値観はスライドしていく。もしかしたら、きっと、些細なことをきっかけに自分の価値観が地滑りを起こして、雪崩のように死んでゆくのだろう。ただし、それは現在のことではない。

いま、自分の手元に残されたのは「自分が就職活動さえまともにできない、欠陥を抱えたカス人間である」という事実と、「現実可能性の極めてすくない、空想のような計画」に対する憧れだけだ。

俺はまともじゃない。まともじゃないから「現実可能性の極めてすくない、空想のような計画」に人生を賭けてもいいかもしれない、と考え始めている。

ただ、いまは考えているだけだ。

きっといつかそんな憧れを捨てて背広を着る日が来るのかもしれないし、そうでない日が来るのかもしれない。どうなんだろうね。俺はまだ自分の気持ちさえ、よくわからないんだよ。