2024.2.18

yuritanyogini
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愛犬バニラの命日。いつものように数字が分からない私は夫に「死んじゃって何年ということになるの?」と訊ねて始まった朝。2020年2月に亡くなったので丸3年が経過したということかな。ん?丸4年?何度も確認したのにもう分からない……。

あの年も暖かい2月で彼の亡骸を斎場へ車で連れていく時、満開の河津桜並木を通るルートで行ったなあ。空が綺麗な日だった。

幼犬期からてんかんの気があって時々発作を起こしていたけれどまさか脳炎だったとは。大発作が起きたのが皆が家にいる真夜中で良かった。私一人だったら、留守番中だったら、もっと悪い経過を辿っていただろう。

夜間救急に向かうとき、自分の腕の中のバニラはこれまでにないほど熱かった、身体に耳をつけていなくても聴こえてくる心臓の激しい音、とまらない痙攣、眼振、よだれと涙。途中から私自身の身体の震えも加わって、夫がかっとばす車も揺れていて。医師にバニラを託したあと、夜明けまでモカ(0歳のときからバニラとともに飼っていた同居犬)と冷房の効きすぎた待合ソファで座っていたとき、あまりにも静かだったこと。モカはおしっこもせず待っていたこと。大発作は強い薬剤を注射するまで二時間ほども続いたこと。

そこからしばらく入院して数日で意識が戻ったけれど脳はゆっくり壊死の部分を広げていき、そのたびに発作が繰り返され身体の麻痺も進行した。あの頃はまだ在宅勤務などなくて介護は私がしていた。運転ができないので夫のいない日はタクシーで発作止めの注射に通うこともあった。その頃私は心細さと不安と緊張で無意識に自分の髪の毛を引き抜いたりしていた。腰痛も腱鞘炎も治る暇などなかった。バニラは月に何度も起きる発作から何度も立ち直り、最後の最後まで愛くるしかった。モカはバニラの発作の予兆を私より早く感じ取って知らせてくれた。

介護は2年くらい続いたんだっけ。サークルのまわりに敷き詰めたトイレシーツ、見守りカメラをスマホで見ながら急いで済ませていた自分の入浴、夫が買ってきてくれる市販の惣菜で済ませていた日々の食事、添い寝している時のバニラのカシミアのような毛並み、あの頃のすべてをまだ忘れたくない。

2020年1月頃から大型客船で奇妙な感染症が流行り始め、動物病院に連れて行く時も人間はマスクをするようになった。2020年2月18日、朝から体温が34度のバニラを残し夫は出勤してできる限り定時に近いはやさで帰宅。私は動物病院と連絡をとりながら夜までバニラを湯たんぽで温め、抱いたりバスタオルに横たわらせたりしてそばで見ていた。それでも体温は31度まで下がっていった。その日まで自力で排泄をして(姿勢を保てるよう人間がすこし支えることはあったが)、最後までおむつをしない子だった。最後の最後で寝床に下痢をした。身体をからっぽにしたかったのだろう。

夕方からは意識がときどき遠のくように。帰宅後急いで入浴していた夫の戻りを待つように、何度か呼吸を止めては戻るを繰り返した。もうだめだなというところで私が叫んで夫を呼んだ。バスタオル一枚の夫が湯気と汗まみれでリビングに駆け込んできたところでバニラは息を完全に止めた。私の腕の中で。死んだってこんなにはっきり分かるんだ、と初めて知った。

バニラを抱く私のすぐそばにモカも寄り添っていた。モカにはバニラの魂が昇っていくさまがはっきり見えていたらしい。バニラの身体、壁、天井と視線を動かしてただ黙っていた。モカの理解力は凄まじかったな。

今日の一首。

食べなくなった犬のおでこに口づけて星の匂いに気づいてしまう/芍薬

ずっと大好き。ずっと忘れたくない。いつかみんなでお空に大集合することを楽しみに、私たちはもう少し生きて行くよ。

@yuritanyogini
地味に地味に暮らしていても書きたいことは毎日こんなに見つかるのだ。足さず引かずほぼ本当の日記。だけどたまには嘘だっていい。