SNSの仕舞い方を考えないとなあと思っている。
趣味(短歌)の情報収集やコミュニケーションに使っていた旧Twitterを7月ぐらいから見なくなった。何がきっかけだったかもはや思い出せないけどイーロン・マスクが何か問題発言をしたんだろうな……何だったかな……。呟くのも眺めるのも辞めた結果、特別困ることはないという事実に気づいてしまったのでもう要らない。短歌のイベントを逃しても特に惜しくないし、投稿先はいつも自分で探して自分で把握できる範囲のものだけで充分だ。賞のたぐいも基本的に興味なし。気づけば5年以上短歌をやっているけど最初からずっと変わらず意識が低い。短歌で何者かになってやるんだ!という思いが自分には全くない。このローテンションはこの先も変えられないだろう。
その頃あちこちにアカウントを作った。Bluesky、Instagram、Threads、タイッツー、Mastdonで全部かな?各SNSの特徴を探るべく色々遊んでみようと思った矢先、父が急死してそれどころではなくなってしまった。
今動かしているのはBlueskyのみ。ここだけが私にとっては「治安が良い」「生活の良い匂いがする」「私が短歌を作る人だということを99%の人が知らないニュータウン、あるいは短歌という文芸ジャンルに特別な思いを持ってなさそうな人たちに囲まれたawayで気楽な公園」という感じで読むのも投稿するのも気楽。他SNSアカウントは短歌の人がやや多いんじゃないかな、誰をフォローして誰がフォローしてくれてるのか確かめてもいないので心許無い。父急死の諸々が片付いた後も結局億劫さが勝って投稿/閲覧しなくなっちゃった。
Blueskyでも週1回ぐらいは短歌のpostもするが備忘録としての用途であってそれ以上の何かは求めていない。たまに感想をリプライで貰えるとびっくりする。もちろんありがたいことだ。だけど誰の目に留まらずタイムラインを流れていってしまっても全然okayだ。他の歌人と短歌について語りたいということもない。旧TwitterとInstagramのDM機能だけはそれぞれ1人ずつとのみ使っている。油断すると半月ぐらい開かないので返事が遅れがち。そのお2人はBlueskyに招待できたのであとはBlueskyにDM機能がつけば完璧だわ★と首を長くして待っている。
SNSについて自分が自分の振舞いに期待しているのはただ一つ、声の大きい人にならないでおこうねということ。無名の一人としてつつましく森を散策して、いつかしずかに土に還りたい。
今日の月齢。0。新月。煤払いの日でもあるというし、SNSもきれいにしたいなという願いを抱いて寝よう。行動に起こすかどうかは今日決断しなくたっていい。