私が購入したのは文庫版だったので、表紙には高架道路が描かれていた。
東尋坊、金沢が舞台の物語なのに、なんで道路?とずっと疑問に思っていたのだが、最後まで読んでようやくこれが腑に落ちる。
あ、これ、最上段からの俯瞰視点で、枝分かれする車線(分岐点)を見下ろしてる構図なんだな……と。
リョウは結局、あらゆる分岐点に対して、当事者たる選択や行動をしなかった。分岐点自体に立っていない、見下ろす構図なのがこれを指しているのだな、というのが個人的な解釈。
ある種のメタ視点を持つことによって心の安寧を図る=凪を保つ="ぼくは起きたことをそのまま受け止めることができる"、リョウがこの気質を得たのは家庭環境が原因なのではないか?と最初は思うが、サキの存在自体がそれを覆してくるので毒が強い。抜かりなく殴ってくるところがとても好きだ。
毒といえば、リョウが兄に対して心の中で行なっていたこき下ろし、私的にはあれが一番グロテスクだった。自分の精神の方が高尚である、という皮で自己嫌悪を包み、もはや自罰的になりながら、しかしそうという自覚はなく兄をこき下ろす精神性が、人としてまあぐちゃぐちゃである。サキに言語化されないと気付けなかったというのも、思考の放棄に他ならない。
サキとリョウの違いとして特に顕著な、想像力の有無。考えること、想像することを放棄し、起伏のない荒野を形成してしまったリョウは、そこが自分にとっての地獄であるとも気付かずに過ごし、並行世界で"実感として"それを認識する、という構成が、この物語の徹底的なところだと思った。
ラストについては正直、この期に及んでまだ受動精神が揺らがないのか、と腹立たしくさえ感じた。誰かに決めて欲しい。自分の生死すら。全てを知ってなお、リョウはまだ"そこ"にいるのか……。いるのだろうな。仕方ない。リョウはそういうキャラクターだったのだ……。
そんな諦念というか、うっすらとした絶望を最後に浴びせかけてきた、大変面白い作品でありました。