インタビューや書評が載っている特典小冊子が手元にあるが、それを読む前に私なりの感想を書いておきたい。そんな気持ちになったので約3ヶ月ぶりにしずかなインターネットを動かした。アカウントを作ったものの、わずか1回しか記事を書いていない。ものぐさだなあ……と一瞬思いかけるも、これは最近発足された読書会のおかげである。作品に抱いた感想を誰かと語らうことと、不特定多数の人がアクセスできるWEBページに感想を放流することとでは、比べてみると私の中では明確な差が存在したのだ。
とはいえ野﨑まどの『小説』は何か書き残しておかねばという気にさせてきたので、こうしてスマホを頑張ってぽちぽちしている。
『小説』は物語のための小説ではなく、真理を説くための小説であったように思う。
何故なら読了後、私の胸の内に残った感覚は「小説って……読み続けていいんだ……!!」だったからだ。物語に対する感動とはちょっと違う。私自身の、読書という行為に向かっていた認識やら価値観をアプデした、と言える。
誰もがそうかは分からないが、小説を読み続けることに対するうっすらとした不安感がある。少なくとも私はある。
例えば私は『生きているうちに可能な限り多くの本を読みたい』と思っているが、一方で、持てる時間の全てを注ぎ込んで本を読む人生とは何だろう、とも考えてしまう。有限である時間を虚構で満たしてしまうことは、実はかなり恐ろしいことなのではないか。こんなことを夜寝る前に考え始めてしまったら、翌日は大体寝不足である。
野﨑まどは『小説』で、脳を虚構で満たすことについて、一つの真理を明示して見せた。字面だけでは意味不明に見えるが、小説を読むという行為を宇宙規模で俯瞰し、宇宙規模で分析したのである。驚くべき着想すぎて『野﨑まど 何者』で検索までかけた。ほんとうの姿はやはりモノリスなんじゃないだろうか。というか何年か前にモノリスの姿で暴れてる動画なかったっけ……?
物語部分もかなり特殊な書き方をしていたと思う。前半は空行がほぼ省かれていて、脈絡というものを意図的に無視していたような感じがしたし、後半はさらに荒唐無稽で、視点も入り乱れる。自他境界が迷子になった精神世界ってこういうこと!?と謎に6次元的世界観を浴びている内に説かれる真理。控えめに言ってヤバすぎである。
ティル・ナ・ノーグ辺りはもうキャパオーバーすぎて何を言ってるのか分からん状態に陥るも、そこは野﨑まどの「いいんだよ!!小説なんだから!!」という力技を感じ、乗り越えることができた。
ところで序盤に出てくる『これを読んでなお落とすのだとしたらそれは世界の方が悪い(引用)』という文章があまりにも好きで写真に収めた。あと『宇宙を貫くたった一本だけの矢印』や『宇宙最高の愉悦』など、私を深く刺す語彙に満ち溢れていて、興奮がやまない。
私は傍点愛好家なのだが、野﨑まどの傍点使いはすごい。いつか誰かと傍点使いが最高の作家談義をすることがあったとしたら、私は野﨑まどを推す。
総評、これほどの読書体験はそうそうできない。野﨑まどという作家を知っている人生で本当によかった。