2024年2月25日(日)旧暦1/16☀️
日本人の葬儀 新谷尚紀 紀伊國屋書店 1992年
現代人と死:著者は尊厳死の問題と臓器移植および脳死の問題について分けて考える必要があるとしたうえでこの問題について書いている。
前者について”日本尊厳死協会のリビングウィル(尊厳死宣言)①がんなどで死期が迫っていると診断されたときは延命措置は拒否する②ただし麻薬など苦痛を和らげる処置は希望する③植物状態になったときは一切の生命維持装置をやめてほしい/1991年東海大学安楽死事件 病気による激痛を訴え続ける58歳の患者に対し見かねた家族が延命治療をやめるよう要請し医師は積極的な治療を中止した、家族はさらに「早く楽にしてやってほしい」と再三懇願しその医師は塩化カリウムを静脈注射して死亡させたとされている事件。リビングウィル3ヶ条と照らし合わせて、積極的な死をもたらすものとして区別することも出来よう、そしてそのような塩化カリウム静脈注射などは違法であり殺人にあたると責めることもできよう、しかし②「鎮痛のための治療」と安楽死の「薬物投与」との間にはそんなにはっきりと線をひくことができるのであろうか、モルヒネや麻薬剤による治療だけではおさえきれないような断末魔のごとき激痛はないのか。また鎮痛のための薬物投与が死を早めることはないのか。鎮痛のための治療と安楽死の処置との間は、ケースによっては紙一重ではないのか。問題はそこである。”
さらにホスピスの現場を見た経験から著者は”問題は「死の臨床」が現代医学で軽視されているところにある”と指摘している。
脳死と人の死という問題については、そもそも人の死とは何かという問いからではなく、”臓器移植という治療法の開発とともにおこってきた問題である”とはっきりニワトリが先か卵が先かということについて明らかにしている。
臓器移植という現代医療の治療法について、私たちは受け入れられるのか否か、その恩恵*臓器移植を受ける側と臓器提供する側の両方の立場を考えたり(フィクション作品で勉強すべし)最新医療への見識を深めたりすることが大切だと思う。また運転免許証取得時あるいは更新時には裏面によくよく考えて臓器提供意思表示をすべきだろう、提示意思のありなしを問わず……この点で日本人はあまりにもYesNo決められない人が多いと思う、実際に日本で臓器提供意思表示を記載している人は2割に満たないようだ。
火とケガレ:ケガレの社会性という項では、”死者や妊産婦の火が忌避されるとき、さかんにそれがケガレているからだといわれる。しかし、死は哀悼であり、出産は祝福である。なぜ、大切な人の死がケガレであり、新しい生命の誕生がケガレなのか。”と問題提起されている。
花いちもんめ:”便所をめぐる民族伝承を集めてみると、正月や盆など神やホトケがこの世にやってくると考えられた日、また人の誕生や死亡などその魂がこの世にやってくるとき、そしてあの世に行くときに、祀られているのが便所であることがわかる。昔話「三枚のお札」の小僧が便所から逃げ出した理由がどうやらわかってきた。便所は、具体的にはあのような排泄の場所であるが、人々の意識の深層では、この世とあの世の出入口だったのである。”
この話からはトイレの花子さんという有名な学校の怪談を想起させられた。私たちの意識の深層でトイレはあの世とこの世の出入口という不気味な存在でもあるということ。
便所をきれいにするという伝承については、便所をきれいにしておくとお産が軽くて済むとか、老婆の場合も便所の掃除をすると寝たきりになって下の世話をかけなくてすむといわれていたそうだ。