共感性が高いのも時々厄介だな、なんて思う。
「悩み」とも言えないとりとめのない話をして
「でももう答えは出てるんでしょう?」と言われる。
そう、もう答えはずっと私の中にあるから私にとって本当は悩みですらない。
それでも意識に上がるのは無駄に高い共感性が反応して、共感できない自分に悲しさを感じてるからなんだろうと思う。
共感したいが、私の中にない感覚は共感ができない。
でも共感を持って知りたい、という無駄な葛藤が生じてるだけなんだよなぁ。
世の中の大半は共感できないことだらけで、考えるだけ意味がないと理解している。
ただ私の物事の捉え方の癖がそのようである、というだけ。
人を知る手段として(無意識に)共感することに重きを置いてて、それがやりづらいとモヤモヤとした思いを抱えて考え込んでしまう。
「分からない私がダメなのだ」と思っていた節がある。
人の想いや考えを尊重するなら、同じくらい自分の想いや考えを大切にしてもいいのにね。
「共感できない自分に悲しさを感じる」って、本当考えるだけ無駄だと思う。
共感を示して分かったフリをしたいのだろう。
でもそう感じていることに気づけたから、今後はその感情に引っ張られずに線引きして対応できそう。