『コンビニ人間』に続いて、村田沙耶香さんの『信仰』を読了。
短編集のひとつ、表題「信仰」を読むと何かに没頭して信じ込めることもひとつの能力なのかもと思う。
傍から見たらなぜそれを信じているかわからなくても、本人にとって信じたいものが見えるならそれが真実で幸せなんだろう。きっと誰にも踏み込めない。
できれば、相手と自分、お互いの信じたいものを尊重しあえたらいいなと思ってるけど、相容れないものだとそれは難しさがあるかもね。自分の信じたいものはお互い曲げることが難しそう。
でも理解しようとする姿勢は持ちたいところ。相手もそう思ってくれないと成り立たないかもしれないけど。
「彼らの惑星へ帰っていくこと」のお話ではイマジナリー宇宙人という言葉が出てくるけど、その感覚とてもよくわかる。
自分の中の話し相手が私にもいるし、友達をイマジナリーとして私の中に取り込んでいるんだろうと最近感じていたから、そうそう!そういう存在いるよね!と思って読んだ。
信じている存在とは常に私の中にあった。
そういえば、あるアーティストの曲の歌詞に「信じるものは巣食われるんだっけ?」とあって、言い得て妙だなと思ったことがあった。
巣(自分自身を)食われないように、救われないとね。
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インタビュー記事も興味深かった。
「みんなと同じようになれない感覚」はみんな持っているものなんだろうか。