自分の場所が欲しい病

yurutan
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自分のサイトを作ったり、Mastodonでも個人鯖を立てて(ホスティングサービスの力を借りてますが)みたりと、旧Twitterを辞めてからは代替あるいはネット上に新天地を求めて奔走している。そうなると、本を作ったり絵を描いたりなどという本来の活動はそっちのけになってしまうのが悩ましいところだが、どうも物心ついた頃から「自分の場所」というものにこだわりがあるらしい。

子供の頃は公営住宅住みだったが、4畳半ほどの部屋が子供部屋に割り当てられ、そこが自分ときょうだい2人の部屋だった。学習机を2つ置くと他にスペースはあまりない。同性の姉妹ならともかく弟と一緒で、当時はまあまあそれで慣らしていたが今思うとよくそれでやっていたものだと思う。自分もあまり不平不満を親に告げるタイプではなかったのと、そんなものだという思いもあってか、その限りある空間である程度工夫を凝らすようになった。成長すればプライバシーの概念も身につくようになり、互いに机を壁につけ、机に向かうと背中合わせになる形で配置していたのを、部屋の真ん中に互いの机の背をつけて、机を仕切り代わりにし、机に向かえば互いの顔が見えないように模様替えしたり、押し入れを2段ベッドに使うドラえもんスタイルを実行したりした。狭さには変わりないが、穴蔵のようなちょっとした秘密基地感が味わえてこれはこれで楽しかった。幸い弟とは不仲の方ではなかったので、苦痛ではなかったが、今自分に子供がいたとしたならさすがにもっといい環境に住まわせたいとは思う。

もう少し遡ると、自分が通っていた幼稚園には他の組の子らとの共同スペースがあり、学校で言う体育館のような、お遊戯スペースとでも呼んでいただろうか。その広い空間の片隅に、ステージ台を積み重ねた小高い場所があり、そこも遊び場になっていたのだが、大体占拠しているのはちょっと活発な男児たちで、虚弱児気味の女児だった自分は近づくことも出来ず、他の子がそこで遊んでいるのが楽しそうで指をくわえて眺めていたタイプである。引っ込み思案だが好奇心はそこそこにあったため、いつかあの高い場所で遊びたい、自分の場所にしたいといつも夢見ていたような子供だった。卒園までにそれが叶ったかどうかは覚えていないが、そういう体験が今に繋がっているのかもしれない。

いい加減な歳になった今なら、自分の中の理想の家が欲しいとなるのだろうが、残念ながらそれを実行するには財力がなさ過ぎる。大人になっても自由自在な自分だけの場所は現実空間に作れそうもない。何かをしようとなると誰かのお世話に、また迷惑なども考えなければならない。社会の景気や人間関係の変化、はたまた旧Twitterのように不可抗力で環境を変えられてしまうこともある。そのようなことは当然誰しもあるだろうが、先のことが影響しているのかはわからないが、自分は特に「自分の場所」にこだわる傾向が強いのかもしれない。せめてインターネット空間には自分の場所が欲しい。サーバー代やその他サービス料等もかかっているが、そのためなら多少の出費は惜しまないのだから、我ながら大したものである。

唯一の慰めは、それらの出費をかき集めても現実の理想の家を建てる費用を賄うには程遠いということだろうか。

@yurutan
空想と現実のあいだには いつも冷たい雨がふる  yurutan.net