22:53入眠、10:57起床。
4:11中途覚醒。
友達の家にお土産届けるついでに変なルートで散歩してきて、小学校のグラウンドの前を通ったんだけど、体育の授業やってて、懐かしいというか、微笑ましい気持ちになった。
小学校って、その年齢特有の無垢さとか生ぬるさがあって、よかったんだよな。
みんな大人になっていくにつれて意地悪になっていって嫌になるよ。
理想論なのかもしれないけど、お互いが傲慢でなければ恨むこともないと思うんだよな。
SNSで関係ない人の投稿を無視できずにアンチコメを書いたり、改札で前の人が詰まったからキレたりみたいな、それって無視する寛容さがないと思うんだよな。
私はこれを「真顔の精神」と呼んでるけれども、何かあったときにすぐ反応せずに真顔でいるっていうのは冷静さを保ち無意味な対立を防ぐために大切なんじゃないか。
むしろ、すぐキレる人は、周りに自分の不機嫌をアピールすることが正しい対応だと思い込んで、癖になってる気がする。
私は負の感情を共有することは基本的に面白くないエンタメだと思ってるんだよな。
例えば大阪のMBSには「憤マン」という名前のテレビ企画があるけれども、わざわざ誰かの怒りを共有されても困るというか、共有されること自体に苛立ちを感じる。
多分、誰かが怒っていることに対して共感する力が少ないんだろうな。
だから愚痴とか聞くのすごい苦手で、いつもおもんないし早くおわんないかなと思ってる。
そういう意味で私はゆとりがあると思うし、そこは強みだと思う。
私は無意味な意地悪はしないから(いじりくらいはするけど)多分優しい方だと思う。
だから逆に、急に人の意地悪さを浴びてしまったときに自分の世界観からしたら想定外すぎて、受け入れることができなくて、物凄く悲しんでしまう。
そう考えると、私はこの悪口が自然に飛び交う世界に向いてないと思う。
インターネットのせいで極端な言いようが面白いとされ、悪口も先鋭化してきた。
インターネットで文面として見る分にはインターネットジョークとして無視できるけど、対面で乾いた笑いと共に向けられると、耐えられないと思う。
最近は「冷笑」っていうのが流行ってるよね。
私は冷笑という界隈自体が他文化を受け入れられずに馬鹿にするという単一的な対応しかできないもので、一番冷笑されるべきだと思ってるんだけど、それはさておき。
冷笑というのは私が嫌いな意地悪さを単純に具現化したようなもので、最も苦手かもしれない。
なぜ無意味に人を嘲笑う必要があるのか、本当に分からない。
無視すればいいものをここぞとばかりに取り上げて、本当に悪質だ。
ここまで述べてきたことからすると、私は無意味な意地悪が苦手なんだ。
無視できるものを無視せずに嘲笑う、馬鹿にする、そういう態度が意地悪だ。
だってインターネットの投稿なんて一方的に流れてきたものなんだから、リプライ・引用しなければいいだけの話でしょう?
そういうものはエンタメとしてやっているのだろうけど、数あるエンタメの中から人を馬鹿にすることを選ぶのは愚かだ。
多分、冷笑界隈からすれば私がやってるような執筆や馴れ合いは生ぬるく、馬鹿にすべきものなのだろう。
でも殺伐とした冷笑よりも、安心感のある馴れ合いの方がずっと良い気がする。
ずっと理想論なのかもしれないが、世界に十分な優しさが生まれてほしい。
性善説を信じたい。
ただ、ここで人を馬鹿にする人の愚かさを指摘することの問題点として、それは人を馬鹿にする人を馬鹿にすることになっているかもしれない。
人を馬鹿にするべきでないと言うならば、人を馬鹿にする人のことも馬鹿にすべきでないので、態度には気を使うべきだ。
最近「〜だよな」という語尾を使いがちになってる気がする。
この語尾便利なんだよな。
これの発生源は色々考えられるけど、終活クラブの少年あああああがやたらと「〜なんだよな」と言ってて、それが耳に残って感染したのかもしれない。
ライブ行ったの去年の3月なんだけどな。
私の日記、小学校のグラウンド見た話から冷笑の話になったり、話コロコロ変わるよね。
これを連想ゲームと呼んでて、日記に吐き出してる分にはいいんだけど人の話聞いてるうちに頭でそれをやって全然違う返答しちゃいそうになることが結構ある。
全然ADHDとかではない自信があるんだけどな。
湧き水のように話が湧き出てきて、相手を置いてけぼりにしちゃうもんだから、困ったもんだ。
ただ、一概に欠点だとは思ってなくて、一つテーマを与えられてそっから話すみたいなのは多分得意な気がする。
上手く制御できたら雑談力になるよね。
まあ今でもある程度整理する力はあると思う。
結構一つの話から分岐して色んな話にとっ散らかっちゃうことがあるんだけど、それを構造化してまとめるっていうことはできてる気がする。
日記の場合ツイートの延長線上みたいな気持ちで書いてるからあんまりそこは意識してないんだけど、考えを主張するときにはやってるね。
多分そこが論理を構造化して捉える、そして大きく見ると学問の法則を構造として捉えるっていう能力であって、私の知能の基礎になってる気がする。
私は結構色んな分野の学問に興味を持ったり持たなかったりするんだけど、その共通点を考えたら、「原理と構造を理解する」というのが面白くて探究してるんだなと気付いた。
例えば地政学は地理状況と政治情勢が結びついてるし、数学はどうしてこの公式が成り立つのかって考えるし、言語学はこの助詞がこう変化したからこの言葉になったみたいに考えるし…という風に構造を捉えるっていう営みを楽しんでるんだよね。
暗記ではなく構造で理解できるっていうのは明らかに強みだなと思うし、生かしたいきたい。
なんか数ヶ月前も言ったような気もするんだけど、無条件に自己否定するんじゃなくて、強みは強みとして認められるようになってきた気がする。
明らかに自己肯定感上がってるし、良い傾向だな。
Smartband10、1,2週間前くらいから常時点灯をつけ始めて、なんも触ってない状態でも時間、日付と曜日、気温と天気、充電残量が分かるっていう感じなんだけど、これが便利で仕方ない。
買った当初は常時点灯つけてなかったから時間見ようとしたらちょっと強めに腕を起き上らせないといけなくて不便だなあと思ってたんだけど、これつけたら0秒で時間が見れるのですっごい楽。
スマホを見る必要もないし、スマホの常時点灯をオフにできるようになったから、電池の節約にもなる。
あとやっぱりLINEの通知が便利。
ポケットや机からいちいちスマホ取るのと、腕を見るのでは結構労力が違くて、無視しがちな通知もすぐ見て返信するかどうか決めれるようになった。
スマホ側ではロック解除しないとLINE通知の詳細見れないようになってるんだけど、Smartband側では普通にメッセージが見れて、しかも結構な文字数読めるので実用的。
まじで生活に溶け込んでる。
買う前よりも良さが伝わってる。
あと充電が数日に一回で良いっていうのが楽すぎる。
お風呂入るときに外して、充電忘れてたけど明日でいっか~ってできるのが楽。
大手のウォッチだと多機能すぎて毎日充電いるらしいからね。
家で作業する時間がある日だったら充電忘れててもそのあいだに充電すればいいけど、外出る日に充電忘れてたらやばいからね、そこを気にしないでいいのが楽。
大体50%くらいになったら心配性で充電してて、それが4,5日くらいなので、結構持つ。
100%から一週間は余裕で持つんじゃないかなあ。
ただ前も言ったけどカレンダーが表示する種類選べないのが残念。
カレンダーにゴミの回収日を設定してるので、予定ない日でも予定ありって表示されるんだよね。
そもそもタップするまで「予定あり」しか表示されないのも不便だし。
ここはおまけ程度の機能かなあ。
あとリマインダーもMi fitnessのアプリ内でしか見れないやつだし、しかもウォッチからは閲覧しかできないっていう。
音声入力させてくれよってところだけど、このウォッチ多分マイクついてないんだよな。
あともう一つ、ずっとつけてると外したときに腕がだるくなってくるのが気になる。
これはどのウォッチでもなるだろうし、むしろこれは細長いからましなのかもしれないけど。
通院して帰りに予備校寄ってきた。
三日月が出てたのでパシャリ。
最近写真撮ってて思うのは、写真を見た人に“何を撮りたかった写真なのか”を分からせるのって難しいなと。
水槽の中をクラゲが泳いでる写真だったらクラゲにピント合わせて撮ればいいけど、街の風景が美しいなあみたいなのだと難しい。
多分、撮る前に「何がどう美しいのか」を自分自身で理解する必要があると思う。
ぼんやりとした印象を写真という具体物に落とし込むって無理だからね。
街の光が美しいなら街の光と夜空のコントラストを強調するように撮らなければいけないのだろうし、そういう印象を伝えるための撮影の工夫が必要なんだろうなあ。
まあ私は撮り方も技術も何も知らないからフィーリングでずっと撮ってるんだけど。
寝る前に醤油飲んでたんだけど、やっぱりさしみ醤油がうまいなあ。
塩分過多になるから良くないって分かってるけど、つい飲んでしまう。