0:40入眠、11:17起床。
今日は近くの勉強スペースで勉強してから通院した。
0.25錠だけ毎晩飲んでたロフラゼプ酸エチルを無くしたいと先生に言われて、不安になった。
そのことを素直に言うと、「じゃあ2日に一回の服用にしよう」ということになって、少し安心した。
子供を残すことについて考えていた。
私の家族計画では子供を産むつもりは一切ないのだが、それはそれで少し寂しいなと思う。
でも、これは自分勝手な承認欲求でしかない。
自分の存在や意志を継ぐ者が欲しいから子供が欲しいというのはかなり気持ちの悪い理由だ。
私はどうやら、「私が世界からいなくなったら」という不安を抱えているように思える。
私のアイデンティティというものを私だけが持っているから、私が死んだらそれが世界から失われてしまう。
そんなことに肥大な自尊心を発揮させて、不安を抱えている。
死ぬのが怖いのかもしれない。
死ぬとは私の存在がいなくなることだから、アイデンティティをこの世に遺すことでその不安を解消したいのかもしれない。
でも、それは低次元な考え方な気もする。
もっと死生観を飛び越えて、超越した考えを得たい。
啓示を得たい。
私はどうしようもなく宗教を求めている。
それは超越性だけが本質で、信じたいのだ。
特に私は生き急いでいると思う。
健康に生きたならば80歳くらいは軽く生きられるだろうに、この時点で死への恐怖を克服するために何やらしている。
もしかしたら、ジャネーの法則を予感しているのかもしれない。
寂しくなるよな。
ふたつばラジオ#2を投稿した。
いい加減原稿作ってちゃんと話すっていうのをやらないといけない。
にしても、ここ最近は色々創作頑張りすぎだなあ。
さっき友達と恋愛観の話してたときの発言。
恋愛とは?というトピックではよく好きは性欲なのかという語りがされるけど、そこは本質じゃないと思う
性欲を相手に向けるというのは好きという前提の上の愛し方の一つでしかなくて、性欲があるから好きだという話には繋がらないと思う
何を持って恋愛とするかというと一番わかりやすい指標が主観的な「好き」という感情なので、そこには個人差があり定義が揺れる
そこを無理やり性欲みたいな行為として普遍的に現れるものにすり替えて定義するのは違うと思う
結局「恋愛とは?」という問いに明確な定義を与えることは難しいと思っている立場で、せめて言うなら主観的感情により自覚した時点だと思う
恋愛感情がない勢に「好きって結局性欲ちゃうん」って言われてモヤモヤしてたから上手く言語化できてよかった。