2026年03月13日 - 社会的アイデンティティという幻想

二葉澪降
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公開:2026/3/13

0:21入眠、11:26起床。


アイデンティティには主観的なものと客観的なものがあると思っていて、自分の客観的(社会的)アイデンティティって一体なんなんだろうと疑問に思う。

社会的なアイデンティティって、社会的な関わりや集団の上で決定される、特に社会生活集団によって決定されると思う。

私は家族、友達、ネット、予備校、学校などと関わっているけれど、その中で生活を共にしているのって、家族だけじゃないか。

その生活の中で見られる私は家の中だけだし、社会的なアイデンティティを決定するには不十分だと思う。

では、私の社会的アイデンティティとはなんだ。

もちろん、社会生活集団以外の社会集団の中での私も、アイデンティティを決定する一部にはなると思うけれど、それは十分じゃないだろう。

じゃあ私は社会にいないのだろうか、そうなのかもしれない。

私は社会に十分に露見していないから、社会的アイデンティティが不確定な状態なのではないか。

平日の日中にクラスメイトと喋っている私の態度は?→不確定だ

もちろん私は通学していないのでそんなシーンが実際に存在するわけもなく、そんなことが言いたいわけじゃない。

問題は、これから新しく人に出会ったときや再会したときに、どう接すればいいのだろうかということだ。

私は中学を卒業してからずいぶん変わったと思う。

高校では新しく態度を構築して喋っていたが、それも疲れたし、嘘ついているような気すらする。

年始くらいに中学の友達と久しぶりに再会したが、そこでは昔のように喋ることしかできなかった。

それでは昔のままだし、新しい自分にはなれない。

古い自分と新しい自分が共存している状態で、その場しのぎで動いていて、では、古い自分を見ている人と新しい自分を見ている人が私の前に同時に現れたらどうしようか。

それは論理崩壊で、私はシャットダウンするしかないのではないか。

ああ、恐ろしい恐ろしい。

「新しい自分」とは私が理想視するイマジナリーな存在でしかないのかもしれないな。

結局私は変われないんだ。

この声も、喋り方も。