2024年1月2日、元気な男の子が生まれて僕は父になった。しずかなインターネットにエントリを書こうと思いつつ時間と気力の余裕がなくて、深夜授乳対応をしている午前5時の今やっと書けている。
生まれるまで
元々の出産予定日は12月26日で、「M-1見れるかな?」「クリスマスケーキ食べれるかな?」なんて話していたけどまったく兆候がなく、1月3日に入院して計画無痛分娩(麻酔分娩)をすることになったので年末行事を堪能して三が日の食料も買い込んだ。
ところがどっこい、元旦に前駆陣痛のような症状があり念のため入院することになり、これが後に本陣痛であることがわかり「最短で今日の夜中生まれる」という状態だった。病院はコロナ対策で「付き添い不可・立会い出産は決められた時間内のみ」というルールだったので自宅でスマホを握りしめて連絡を待ったが、気力の限界で午前5時くらいに寝落ち(この時妻は陣痛の痛みで連絡するどころではなかったらしい)。冷蔵庫には2人分の三が日の食料が残されており後々消化に困ることになる。
翌1月2日は断続的に「痛い」「やばい」という連絡が来ていたが、夜になって「きて!」という連絡が入り、即タクシーを配車して病院に向かった。病院に着いてから妻に会うまでの待合の間、分娩室から妻の聞いたことがないような陣痛に苦しむ声が聞こえてきていた。計画日よりも前に本陣痛が来てしまったため麻酔科医がおらず自然分娩になったが、元々は無痛分娩の予定だったので我々は全く自然分娩の予習をしていなかったので、その苦しむ声を聞いた時に妻は無事なのかと不安になり、当の本人の痛みや辛さは察するに余りある。
合流してからは助産師に言われるがままテニスボールで押したり、いきむために背中を支えたりしたが、見たこともない表情で苦しむ妻の力になれていたのかもどかしかった。分娩自体は大きなトラブルもなく、生まれてくる瞬間を目撃したり、産声を聞けたり立会して本当に良かったと思えた。初めて抱く我が子は重く、うちの兎の倍くらいの重さだった。泣きそうで泣かない「あっあっ」という声はとても愛おしかった。
命名
息子の名前は「櫂(かい)」にした。櫂とはボートを漕ぐのに使うオールのことである。名前は漢字一文字にしたいと思っていて、追加で「それってそういう名前なんだ」みたいなものが好きで扇子の「要(かなめ)」なども候補に入っていた。最終的には非日本語圏での呼びやすさやなども考慮して櫂になった。後付にはなるけどTOKIOの宙船をテーマソングに人生を進めていって欲しい。
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ありがたいことにお祝い何にすればいい?と聞かれることもあるのでウィッシュリストを作りました。もし良ければよろしくお願いします。
今後ともチームあんぱんをよろしくお願いします。