ジモティーという魔窟、あるいは癒しの場

小林ゆうすけ
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公開:2025/5/9

自宅のソファを新調したので、今まで使っていたものを売りに出そうということでジモティーで出品してみた。するとすぐに買い手がついたので、日時と場所を調整して、当日約束の時間に引き渡しに向かったのだけど、残念なことに相手方はここで音信不通になってしまった。待ち合わせ時刻から一応50分ほど余分に待ってみて、ああこれはきっと永遠に連絡が来ないやつだなと悟り、結局のこのこ帰ってきた。そして実際、ついぞ連絡は来なかった。

商品のソファは車の後部座席をすべて倒して積み込んで運んだわけだけど、出荷されないまま放置されるはめになったため、もう一週間ほど社内に居座っていて、そのままアルバイト先へ何度か通勤している。大型荷物の運送には向かない普通のコンパクトカーだから、たまたま車内が見えた人がいたらぎょっとするに違いない。まあ見栄えのことはいいのだけど、このご時世だから燃費負荷が大きくなってガソリン代がかさむのが嫌だなぁと思っている。

ちなみに連絡が取れなくなった相手のアカウントを見ると、どうやら事故とか病気とかではなさそうで、その日以降は何事もなかったかのように別件の取引を行っているらしい。それを見るとこちらも「ふざけんじゃねえぞ」という思いは当然あるのだけども、しかしわりと私はジモティーという場を社会の道理が通じない魔窟として捉えていたので、「まあそういう地雷ユーザーもいるわな」という諦観も混じっている。メルカリとかヤフオクとかも同じ印象で、健全な商取引が成立するのが当たり前ではない修羅の世界、モラルよりも腕力がものを言うアンダーグラウンド的な色を帯びて見える。

とはいえ、個人的にはこういう魔窟性に対してネガティブな見方だけをしているわけではなくて、逆説的ではあるが一種の「癒し」にも近い感覚がある。というのは、社会の「こうあるべき」というガチガチの常識やら、知らないどこかで醸成されてきた商慣習などから解放されて、何にもとらわれない自由な生身の人間同士の取引の場とも捉えられるからだ。いや、多くのユーザーはここでもちゃんと「社会」をしているし、そのほうが望ましいのだけど。でも現実に社会にはその規範の中で立ち回れない人というのは存在するわけだし、そういうインモラルをまるで存在すらしないかのように異物として切り捨てる世界よりは、「ふざけんじゃねえぞ」という視線をあびながらでもちらほら野放しになっている世界の方が、なんとなく風通しが良くて居心地がいい気もする。少なくとも、どこかにはそういう場もあっていい気はする。

ちなみにくだんの相手方のことは普通に恨んでいるので、アカウント停止にしてほしいなと思って運営に規約違反報告はしておいた。異物として切り捨てる行為なので、先ほどの話とは矛盾している。私自身もやはり感情のある生身の人間であるから、それはそれ、これはこれである。

@yuu_kobaya
世界のすみっこで、もそもそ身をよじって生きています。 デザイン, 技術, 読書, 学び... いろんなことが好きな人。 lit.link/yusukeweb