誰も応援してはならぬ

yuumin
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 僕は誰も応援しないことにしている。人間だけではなく、チームや団体も応援しない。応援してはいけないということはないけれど、少なくとも僕はしない。応援することが時間やエネルギーの無駄だと思うし、精神衛生上もよろしくないと思うからである。

 応援する対象を具体化して考えてみよう。僕も昔はプロ野球をたまに見ていた。西武ライオンズを応援していた。勝ったら嬉しいし、負けたらがっかりする。そこそこ楽しんでいたと思う。

 応援する対象は、なにかしらの勝ち負けが関係していることが多い。スポーツならわかりすい。たとえばアイドルだって、もっと出番が増えてほしいとか、大きな舞台で活躍してほしいとか、そういう応援は誰かの敗北なくしてはありえない。選抜メンバーに選ばれてほしいと応援すると、必ず選抜メンバーから漏れた敗北者が出る。ずっと勝ちつづけるいうことはありえない。

 僕が誰も応援をしない一番の理由は、自分にはコントロールできないからだ。応援しようがしまいが何も変わらない。はっきり言って時間の無駄だとさえ思う。他人を応援する暇があったら、まずは自分で努力をして、自分を応援したり、褒めたりしたほうが良いのではないかと思う。

 子どもはどうだろうか。応援しても良いか。僕は、子どもでさえも応援しないほうが良いと思う。子どもはアイドルよりも自分に近しい存在だが、コントロールできない対象だと考えたほうが良い。家族ではあるが別個の存在である。他人なのである。あまり期待しないほうが良い。生きていてくれたら良い、という程度にしておくのが良いのではないか。将来、どんな風に成長してほしいとか、どんな学校に進んでほしいとか、そういう期待、応援は不要だと思われる。

 応援されることで力を出せるということもあるだろう。僕は人から応援されたことがないので、よくわからない。僕を褒めてくれるのは僕だけだ。それで十分ではないか、とも思う。自分の正しさ、自分の努力、自分の才能は自分自身がわかっていればそれで良い。他人に評価されたいと願うのは、それもまた自分にはコントロールできないことである。他人からの評価を気にするのはやめておいたほうが精神的に楽になるだろう。

 とはいえ、仕事ではアピールすることが必要なときもある。それは評価をしてほしいという欲望というよりは、評価を稼いでお金を稼ぎたいという実利的な気持ちが強い。他人に褒められても得は何もないが、仕事であれば話は別である。給与が増えるかもしれない。とはいえ、そこまで給与が必要ではないのならば、アピールをしないという選択肢もありだろう。僕も本当はやりたくないのだが、そこはお金のために妥協している次第。もっとお金が入るようになればアピールなどはしなくなるだろう。

 とにかく、応援している対象が負けるのがつらい。苦手だ。敗北している姿を見たくない。そういう争い、嫌なことからは遠く離れて、静かに暮らしていきたいものだ。