自分は恵まれていると思う。
ギャンブルなどいっさいせず倹約家で働きものの父と、ピアノを愛し容姿端麗な母のもとに生まれ、大した不自由をすることもなく過ごしてきた。
小学校では公文に通い本を読むことや計算することが好きになり、受験では親の支援のおかげでいわゆる偏差値の高い学校に入学できた。
それでもときどき、なんで自分はこんなに英語が下手くそでどうしようもないんだろう。と深く落ち込むときがある。
小さい頃から英語で教育を受けれたら。言語が近いヨーロッパ圏で生まれていたら。大学からアメリカに進学するという選択肢を取れていたら。
もっと同僚から好かれることができたかもしれない、強いリーダーシップを発揮できたかもしれない、違う世界が見れたかもしれない。そういったifの世界が常に頭につきまとう。
ぼくは18歳からは、自分で自分の進む道を決めてきた。選んだ道に後悔はいっさいない。いまこうしてAmazonでソフトウェアエンジニアとして楽しみながら働けているのも、アメリカでIn-N-Outを食べれるのはいつなんだろうかとワクワクできるのも、クラシックギターの音色に我ながらウットリできるのも、自分の選択の結果。
英語は正直にいうと言語として美しさや面白さを感じられるレベルにはまだまだなれないと思う。ぼくは言語として日本語が好きだが、英語にはつねにどこか緊張感を感じる。
いつか英語を読んで号泣することができるのだろうか。その積み上げられてきた文化を愛することができるのだろうか。
そうなれたらいいなと切に願って、きょうもchatGPTとおしゃべりをしている。