『100日後に別れる僕と彼』読了しました。
大好きな浅原先生の作品。
パートナーシップを結んでいる二人がドキュメンタリー番組の密着取材を受けるものの、実は二人の分かれは秒読みで、というお話。
カノホモでも描かれていたけれど、「ふつうの幸せ」に憧れるマイノリティが凄く刺さる。「ふつう」と言い切ってしまう恐ろしさはあるけど、一番しっくりきてしまう。
「ふつう」と呼ぶ危険性って、「ふつうじゃない」ものを排除してしまうこと、それを押し付けることであって、その言葉自体はかなり的を得ていて悪いものではないと思う。個人的には「女らしい」とかもその一つなんだけど。
私にとって憧れる「ふつう」はいわゆる恋愛対象として好きな人がいることで、どうしてもそれが難しい。時代的にふつうじゃなくてもあなたらしければ良いと言われるけど、私は「ふつう」になりたいのにそれを言われるとちょっともやっとする。それは「あなたは『ふつう』になれないのだからそのままでどうにか幸せになりなさい」と言われているみたい。ちょっと穿った見方かな。
それでも「ふつう」に憧れる権利をどうか奪わないでほしいと思うよ。