2024-11-17

yuyuko
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大寝坊をかましました。なんとか遅刻は免れました。もうしません。

幼稚園に通っていた頃、母が連絡帳にこんな事を書いたことがある。晩ごはんを食べていたときに、母がおしょうゆを少しこぼしてしまった。そうしたら、当時3、4才のわたしがサッとティッシュを取って母に渡したらしい。ただそれだけのちょっとした出来事に、母はいたく感動したようだった。娘が気の利く優しい子に育っているのを感じて、とっても嬉しかった、と書いていた。

わたしは当時から連絡帳を読むのが大好きだったので、このページも翌日か翌々日くらいには目を通していた(今思うと、大人同士の情報共有のために書かれた文章をあの年齢でまあまあ普通に読めてたのすげえな、わたし)。そのとき感じたことを率直に書き起こすと、「お母さん、変なの」。おしょうゆこぼしたんだから、ティッシュ取ってあげるのは普通じゃん。そんなことで、優しい子って言われるの? お母さん、そんなことでこんなに喜ぶの? 変なの。――そんなようなことを考えた記憶がある。気恥ずかしさからでも謙遜からでもなく、純粋に意味がよく分からなかったのだ。

あれから30年(30年!?)が経ってみれば、さすがにわたしにも母の嬉しさが少しは理解できる。幼いわたしが衒いなくティッシュを取ってあげたその一瞬には、母とわたしがそれまで一緒に生きてきた数年間の軌跡が詰まっていた。そういうことなんだと思う。子育てに――ひいては人の人生に――正解も不正解もないけれども、少なくとも中間発表くらいの意味合いはあるだろう。「目の前で人が物をこぼしたときに、素早くティッシュを取って渡す」というワンシーンは。

大人になったわたしは、当時の母が(もしかしたら今も)わたしの一挙手一投足に感動し、一瞬一瞬を嬉しく感じながら見つめてくれていたんだと実感して、連絡帳を読むたびに笑いながらちょっと泣くのです。

@yuyuko
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