平地で育った。今は坂が多く、起伏が激しく、そのなかでたくさんの家と人が挽目し合う土地で暮らしている。
正直このような起伏が激しい土地が自然ではなく家のような人工物で満たされている光景は、未だに全く慣れず、しかも気持ちが悪くなってくる。酷く気分が悪く感じることもある。
そのとき、自分は平地ではなくこのような土地で幼少期を過ごしていれば、今よりも暗い性格に育ったのだろうなと感じる。言い換えると、平地であるがゆえの今の性格だということだ。
今の性格は、暗い性格というと正しくないように感じる。けして外交的であるかというとそうではないが、少なくとも暗い人ではないし、塞ぎ込んでいる性格でもない。ある程度の人付き合いはできるし、まともな人間の一人であるとも思う。まともが何だということについて正欲を読んだばかりの自分からちょっかいを出したくはなるが、まあ世間一般的な人であるということだ。
平地は世界が開けて、遠くに山が見えて、空が広かった。そこで高校生まで過ごした。そんな景色は実家を出て5年が経つ今でも羨ましい。心が開放的に感じる帰省が、実家自体がそこまで得意でなくても人生の楽しみになっているのが現実だ。
この性格は平地ではなければ育たなかったのではないかと、坂だらけの街に住んでいて思う。今住んでいる街は、家は高い土地かつ高層階にあるからこそ海まで見渡すことができるが、一度地上に立つと、コンクリートの壁(高く巨大な建物の比喩ではなく文字通りの壁)や車が行き交う2車線の坂道で視界が覆い尽くされる。5年経つが未だに怖い。眼の前をまっすぐ水平に見ても、道路の先が空ではないのだ。道路を見た水平方向のその先が、自分が立っている道路からそのまま続くそれなのだ。それにまだなれないし、怖い。
この気持ちは自分が今住んでいる街だけではなく、電車の車窓からでも感じる。新幹線で東京へ向かうとき、特に神奈川県あたり、新横浜駅周辺でよく感じる。あのあたりは本当に怖い。外を見ると家が山肌に沿って延々と並んでいる。もちろんそれらの家にある数多の部屋では人々が暮らし、毎晩体を横にしているわけだが、車窓から街をじっと見ていると、その事実が急に思い起こされて、不安になる。
もしそんな街で住んでいたら、まったく違う性格になっていただろう。もし自分が生まれ育った土地が、気候条件や立地、そのた条件が全く同じで、起伏や街の形状だけが違っていれば、今とは異なる性格になっていたに違いない。自分の性格は、地上に立って、道路の先に見える空によって、またその景色から生まれるわずかな開放感によって作られたのだろう。
一年後、ほぼ確実に自分は東京にある会社に勤務するだろう。そうなると、人があまりに多すぎてパンクした大都会の一部にならなければならない。そこで住む土地は、非情にも好きに選ぶことはできず、自分の所得によって数えるほとに限られることになる。このような状況においても、一年後の自分は坂が多い街を避けるだろう。
坂だらけの街では自分が暗くなるようで怖いのだ。
2024/02/23