なーんか、大層なタイトルになってしまいましたが、内容は大した事ないですw
筆舌に尽くしがたい、と言う言葉があります。
感動のあまり、言葉にならない、と言う言葉があります。その感動を誰かと分かち合いたい、と思えば無理矢理にでも、言葉に落とし込むしかありません。ですが、言葉に落とし込んだ時点で、その感動は陳腐化してしまう気がするのです。
例えば、生の感情を言葉にしてぶつけてみても……
面白かった!! 感動した!! そんな言葉をストレートにぶつけても、どこが面白く、どこに感動したのか、全くわかりません。同じ場に立ち会った人同士なら、それでも感動を共有できるかもしれません。
ですが、その場に立ち会わなかった人に、その感動を伝えるには、生の感情をそのままぶつけても、何がなんだか、わからないでしょう。
そういった人たちに感動をぶつけるには、言語に落とし込み、理屈と言う枠にはめ込まなければ、伝わらないと思います。ですが、そうやって理屈に落とし込まれた時点で、感動は陳腐化してしまう気がします。
だから、私は語らない
本当に面白かったモノは、ただ、面白かった、感動した、と一言で言い表してしまいます。他の人に伝える必要なんてない、その感動は私だけが理解していればいい、私だけの宝物、みたいなモノだと思っています。あえて、それを陳腐化する必要なんてない、と思っています。
対してオタク、と言う存在
いわゆるアニメやラノベ、マンガなどに登場するオタクは饒舌です。自分の好きなモノに対してマシンガントークになり、まくしたてるように相手にぶつけます。時として、相手が理解しているかどうか、そんなことは気にせず、自分の思いを言語化してぶつけます。
この手のキャラはいわゆるオタクのアイコン、だと思っています。典型例を凝縮して、特徴を際立たせてオタク、と言う定義をわかりやすくキャラクターに落とし込んでいる演出、と思っています。
そう考えると、オタク、と言う人たちは自分の好きなものを言語化、理屈に落とし込み、それを知らない人に、布教する人たちなのだろうな、と思っています。
そう考えたら、私は少なくとも、アニメオタクではないのだろうな、と思います。アニメは好きですが。
ただ、車に対しては饒舌
いらんことまで口にしますw
きっと私は車に関してはオタクなのでしょうw
まぁ、実は布教活動、と言うモノはあんまりしたことはないのですが。
スイスポにしても名車であることは間違いないから、欲しい人は買えば良い、と言うスタンスであって、『あの車より優れてるから、絶対買え』みたいな押しの強さはないです。
むしろ、スイスポに関しては、車格の低さ、ステータスの低さ、耐久度の低さを意識しているし、公言もしています。
それでも、素晴らしい車だと思っていますが。
そう考えると、私はオタクなのかな?
正直、私はオタクと言うモノにステータスを感じず、どちらでも良いのです。憧れはしませんが、蔑みもしません。ただ、そーゆー人種がいる、と言う事実だけを認識しているのみです。
しかし、上記の理屈で考えると、実は私は物好きとかマニアであるかもしれないけど、少なくとも現代で言うオタクではないのかもなぁ、と思ったりもします。
まぁ、割とどうでもいいことですが