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自由研究メモ:排除に至る人類のバグについて

善吉/Baŋaditjan
·
公開:2026/4/26

はじめに

原点はだいたいこのポストです。

2025年、およびそれより数年前からの世界や日本を取り巻く様々な話の中で、以前より何となく頭の片隅にあった疑問が割としっかりと実体を持って居座るようになってきた。この人類のバグみたいなやつについて色々とちゃんと考えようと思って、色々と実際に過去に起きたケースについての本や、考え方のヒントになりそうな本を細々読んでいる。(ドキュメンタリー映画も積んでいる)

この記事はその中でヒントになるのでは?と思った本の記載や、現状での考えなどをつらつらつらとメモするだけの完全に自分用の記事です。そろそろメモでもどこかにまとめないと取っ散らかって来そうというのが一つ、それから他の方の次読む本の参考になることもあるかな、ということも一つ。このプラットフォームなら場内/場外乱闘ともに起きにくいかなということで、ここで公開しておきます。

もし現時点で「こういう資料あるよ」「自分は違う考え方をするぞ」などあれば@zenkichi-b.bsky.socialまでご共有頂けると、大変助かります。違う脳みそや違う経験値を持つ目線の話、常に大募集。資料も大募集。 

(※ないとは思いますがインターネットは怖いので念のためお伝えしておくと、この自由研究では殴り合いやレスバは求めていません。もしも未来でそういうのが来たらスルーするか、この自由研究の題材にさせて頂きます。)


参考文献だけ見たい時用

詳細なメモは個別の見出し配下にて。とりあえず何読んだか・見たかのリストだけ見たいとき、または見たい人用。(※以下全て敬称略。注が無ければ本かWeb記事)

  • 三宅 香帆 著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書,2024)

  • 酒井朋子 奥田太郎 中村沙絵 福永真弓 編著『汚穢のリズム きたなさ・おぞましさの生活考』(左右社,2024)

  • 山口真一 著『正義を振りかざす「極端な人」の正体』(光文社,2020)

  • 中野信子 ヤマザキマリ 著『生贄探し 暴走する脳』(講談社,2021)

  • ジャン・ハッツフェルド 著/ルワンダの学校を支援する会(服部欧右)訳『隣人が殺人者に変わる時 ルワンダジェノサイド 生存者たちの証言』(かもがわ出版, 2013)

  • ジャン・ハッツフェルド 著/西京高校インターアクトクラブ 訳 『隣人が殺人者に変わる時 加害者編 ルワンダジェノサイド 加害者たちの証言』(かもがわ出版, 2014)

  • ジョナサン・ゴットシャル 著/月谷真紀 訳 『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』(東洋経済新報社, 2022)

  • ジャン‐ピエール・デュピュイ 著/嶋崎 正樹 訳『ツナミの小形而上学』(岩波書店, 2011)

  • 《映画》『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(2024)

  • 《映画》『関心領域』(2023)

  • 《漫画》岡田索雲『追燈』(『ようきなやつら』収録、双葉社, 2022)

  • 《ウェブサイト》亀有メンタルクリニック『いじめをうけているあなたへ』

参考になりそうな本を教えて下さったフレンドや相互フォローさんありがとうございます。引き続き募集しています。

以下、自由研究メモ(随時更新)

考えていることのメモなので、自分にしか分からない走り書きもあるし、どんどんアップデートされると思うし、あとから見るとウワ間違ってんな~となるようなことも書くと思います。専門家からみたら「何を今更こんなこと言ってんだ」「浅い考えだな」という話もあるはずです。

あと、普通に長い。2026年8月現在、そろそろ字数制限が見えてきて焦っている。

どんどこメモをしていきます。気が向けば整えますが、走り書きの部分も多々あります。


1.「お墨付き」とエスカレートする過程

単に「お墨付きを得る(と感じる、思い込む)」といっても、複数要素があるのでは、という話。

ボスや、パワーのある人物がお墨付きを与える仕草をする

実際に命令や指示や犬笛などで「こいつ(ら)をやれ」とお墨付きを与える人・組織がいるパターン。一番よく見かける要素だが、それ故にどこかでもう少し掘り下げたい。

ある点において相手が正しくないと思うから(ただし、限度や釣り合いが取れていない)

相手が何か正しくないことをしたとして、あなたがそれに怒る権利を得た時に、「自分は正しい」=「相手を糾弾していい」のお墨付きを得た結果、行き過ぎてしまうことがあるという話。

相手が何か「正しくない」と思われることをした時、人間は義憤に駆られたり批判をしたりする。それ自体は普通のよくある話で、悪いことでもない。何か良くない動きに対して、プラスに働くことだってたくさんある。むしろ心身を守るために適度に正しく怒ることは大事だし、そうした方が良い場面もたくさん見る。これは自分のためにも大前提として主張しておこう。萎縮はよくないし冷笑もよくない(でも怒り方は大事だ)。

注意が必要なのは、相手が正しくない=それに怒る自分は正しい、という状態になった時に、暴走したり、パワーバランスや怒りの度合いの規模が釣り合っていなかったりすることがままあるということ。

具体的に言えば、10怒ればいいところを200怒った上に人格否定までしてしまうとか、正しくない方向にその怒りの矛先を向けてしまうとか、力の強い人が多数を率いて無力ないち個人を裁いて天日干しにするとか、真偽を検証せずに特定の属性の人たちを排除しようとするとか、そういうことが起きてしまう恐れがあるのでは、ということだ。

山口真一 著『正義を振りかざす「極端な人」の正体』(光文社,2020)には暴走する正義感によるネットリンチの実例サンプルが色々とあるのだが、前提として正義感に基づき「悪」を裁くのは脳にとって快楽物質のドーパミンが出る行為なのだという。

ドーパミンの影響を舐めてはいけない。ギャンブル依存症だって奴の仕業だ。

「正義」を理由にした怒りは中毒性が高く、視野が狭まり自分でコントロール出来ない状態に陥る可能性がある、ということは頭に入れておいた方が良いかもしれない。

「罰せられない」ことで強化されるお墨付き

特定の属性の人への小規模な加害行為が見逃され続けることによって、結果的に「お墨付き」を得て徐々に加害行為の範囲がエスカレートしていくケースもあると思う。

個人的にヘイトクライム関連で非常に危惧していることで、加害者は(他の属性の人に対しての加害と同様)正しく逮捕され罰せられて「損」をする仕組みにしておかないと、結果的にどこかのタイミングで他のお墨付き要素と合わさってとんでもない事態を引き起こしかねない(特に取り締まる側が加害や差別に加わっている場合は質が悪い)。歴史を振り返れば国内外にクソほど実績がある。

ジャン・ハッツフェルドの『隣人が殺人者に変わる時』は、1994年ルワンダで大統領の暗殺事件を引き金に起きたフツ族によるツチ族の虐殺について、とある村の当事者たちの証言をまとめたシリーズだ。

全3冊で、1冊目からそれぞれ被害者の証言編→服役している加害者の証言編→刑期を終えた加害者が戻ってきてからの和解を模索する編となっている(2026年4月時点で3冊目は未読)。ジェノサイドの証言なので精神を削られるが、加害者視点の証言が残されているという点でも、気力があれば一読の価値はあると思う(2冊目は刑務所での集団での聞き取りのためか、構成上やや読みにくい箇所があるので注意)

ルワンダの虐殺の話では、ラジオで「ツチ族を殺せ」と殺意を煽るヘイトスピーチが虐殺に繋がっていったというエピソードがよく引用される。実際この証言集でもその話は登場するが、個人的には本を読んでいて、ツチ族への虐殺の「お墨付き」に繋がったのは、虐殺の前から徐々に培われていった、「ツチ族を殺しても罰せられない」という雰囲気の方も強いのではないかという気がした。大虐殺が起こる前から、国内ではフツ族によるツチ族の殺人事件でろくに調査されなかったり、罰則が甘かったりお咎めなしだったりしたケースがぽつぽつとあったという。罰されない=大した損をしないということは強力なお墨付きになる。

同様の事態は残念ながら現在進行形でも起きている。

映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』はイスラエルの入植行為(※違法)が公然と行われ続けるパレスチナの居住区で、パレスチナ人とイスラエル人の若い監督たちが2023年4月まで撮影したドキュメンタリーだが、パレスチナの住民が撃たれ、加害者のイスラエル人は何もお咎めなし、という光景が日常の中に組み込まれてしまっている。

当時から入植行為も元々住んでいたパレスチナ人への暴力行為もぽつぽつと批判はされていたものの、世界でイスラエルという国が「損」を感じるまでの批判や裁きがなにもないままズルズルと見逃されていった結果が、2026年の今の、あの2023年より更にひどい状態なのではないか。世界全体が「お墨付き」を与えてしまった結果が現状なのではないかと思う。

(余談だが、映画の中で抗議をするイスラエル人の方の監督に、入植者の一人がスマホのカメラを向けて「ネットにあげてやるよ。裏切り者として叩かれるぞ~」などとニタニタ笑いながら言っている場面があり、「すごいな、人間って素でここまで醜悪になれるんだ」としみじみ驚いてしまった。そんな彼も自宅ではよき兄や弟や息子や父親だったりするのかもしれないと思うとグロさが増しますね)

ヘイトスピーチなり実際のヘイトクライムなりを早い時点で「損をする行為だ」と思い止まらせる、思い止まらない場合には逮捕など然るべき措置を取って正しく歯止めをかけておかないと、「お墨付き」を得て増長してしまうのだと思う

この手のお墨付きの厄介な部分は、政府や警察などの歯止めをかける仕組みになるはずの機関(学校のいじめなら教育者)が「見逃す」「大した損を与えない」という選択肢を取ったり、むしろ加害を推奨する立場になったりする場合、一般人単体の力だと「損をさせる」という手段が取りにくいという点。対策は4で考える。

先日ロンドンに行ったときに見かけた、地下鉄ポスター。実刑を受けたケースを紹介して、ヘイトクライムはやめましょうと呼び掛けている(同シリーズに性的加害についてのポスターもあった)

目先で「利」があると肯定を後押ししてしまう

それが目先で得をする行為だった場合――――特にそれが「みんな」やっている行為だった場合、その得をする流れに乗り遅れないために「お墨付き」を自分で与えてしまうこともあるのではないか。

隣人が殺人者に変わる時』には、フツ族からツチ族への殺人と合わせて略奪行為の証言も多くあった。殺したツチ族の家からトタン板や家財を奪い、夜になったら村に返ってツチ族の所有していた牛を殺して食ったという。元々従事していた農業よりも、その時の彼らにとっては簡単に「利」を得る行為だったという証言がある。家に稼ぎを持って帰る行為としての「お墨付き」があったと言える。

アウシュビッツ収容所と壁ひとつ隔てた隣に暮らす家族を描いて話題になった映画『関心領域』も、女性たちが政府が強制的に移送したユダヤ人たちの衣服をお裾分けしたり(普通に略奪物の分配)、ヘス中佐が熱心に仕事(収容所運営!)に取り組んで評価されていたりと、自分たちの「利」になる行為に勤しんでいる。

ルワンダの略奪も関心領域も、どちらも上からの指示に従った上での「利」だから、なおのこと自分にお墨付きを与えやすかったことだろう。

2. お墨付きを得た加害行為はどうなるか

エンジンとガソリンを準備したので、アクセルを踏んだ加害/排除の行為について加速していく部分についても考える。やや3と重なる部分もあるため、もしかしたら章立てを調整して消えるかもしれません。

加害行為そのものが快感を与える?

リンク先記事参照。そもそも加害により、自分が優位に立つような感覚を覚えることで快感を覚えるものらしい(広義の依存症の一種ですとサイトには記載あり)。関連書籍を読んでもうすこしここらへん調べたい。

勝ち馬に乗っていると気分が良い

これはもう書いてある通りそのままの話です。以上。

内輪ノリの「ウケ」のために過激化していく

加害行為が自分の属する集団内で「正」となると、内輪ノリで自分がウケるためにより過激な加害行為に走っていくことがあると考える。一応集団の内輪ノリの過激行為は外から怒られれば収束していくが(度胸試しで人の家に石を投げ込んで警察を呼ばれる、など)、これが外部からも罰されないという状況下だと更にひどいことになる。

サンプルは残念なことにこの21世紀令和でもいくらでもある。身近なところならリンチ行為やいじめもそうだし、自分の支持層や取り巻きからのウケしか考えておらず、そのために過激化する政治家なんかも国内外で見かける。

ちなみに先日(2026年5月)イスラエルの国家安全保障相が誕生日にパートナーから、パレスチナ人死刑法をイメージしたらしき絞首刑台ケーキを贈られてニコニコしている写真の記事を見かけたが、内輪ノリの過激化を突き詰めればあり得る話なのかもしれない(あまりにも人類史に残る醜悪さの新たな1ページを飾るエピソードすぎて、正直フェイクニュースであってくれとすら願っている。リンクも貼りません)。

「道具的理性」でそのまま突き進み、過激化していく

『全体主義の克服』は日本の哲学者(専門は中華思想)とドイツ哲学者がコロナ禍にオンラインで対話した内容を収録した本だ。対話式なので読みやすいが、時々専門的な話が飛び出してくるのでよくよく咀嚼する必要があり、脳みそが元気なときに少しずつ読み進めている。哲学もっと勉強しておけばよかった。

ドイツ哲学の専門家がいて、かつ主題が主題なので当然の如くホロコーストや過去のドイツ哲学者の反省が出てくるのだが、その中に官僚主義的悪の批判として「道具的理性」というワードがでてきた。ざっくりいえば「自分の行いの是非を振り返るためではなく、どうやってその行いを押し進めるかを考える方に理性を使ってしまう」という状態のことらしい。排除の是非を自ら考えるよりも、排除の邁進に思考を注ぐのだ。

『関心領域』で「効率的」な収容所運用に力を注いでいたヘス中佐がとてもちらつく話である。(排除する側の組織で働く人だけでなく、ブラック企業で日々なんとか業務をこなすのに一生懸命な人々もこれじゃなかろうか、という気もする。ところでサビ残っていわずちゃんとタダ働きといいませんか。)

身内への共感 > 別集団への共感と、脳ホルモンのクソマリアージュでも攻撃性が加速する

ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』は人間という生き物と切り離せない「物語」(※いわゆるフィクションに限らない、歴史やニュース、だれかのSNSへの投稿や友人と話すエピソードも含めたあらゆる「語り」の行為の産物)という手段について手放しに賛美するのではなく、その危険性や、如何に意識的に/無意識的にどちらの面でも人間の行為に影響を与えているかに目を向けた上で向き合うべきなのではないかと提言し、その危うい側面についても紹介している。

その中に、物語による共感は別集団への偏見や差別をなくすことがある、というよく耳にするポジティブな効力だけでなく、身内への共感を強めるあまり別集団との断絶にも働くことがある、という指摘がある。

加えて厄介なことに(そして然もありなんという話ではあるが)、この場合の「共感」は別集団より、元々自分が属している集団の方に働く方が力が強いという。

つまり、集団の外にいる人々よりも集団の中にいる人々に共感するほうがずっとたやすいため、物語が生み出した共感の主な効果は「私たちー彼ら」の境界線をぼやかすことではなく、それをくっきりと際立たせることであるかもしれない。

さてここで一瞬だけ脳科学の話をする。

ハグをした時に出る「愛情ホルモン」としてたまに耳にするオキシトシンだが、複数の研究にてこのオキシトシンが仲間意識を強めるだけなく、外部の集団(=仲間ではない者たち)を排除しようとする攻撃性・凶暴性を高める働きもしているのではないか、という説が有力になっているという。(複数の記事や本で見かけたのでそのうちちゃんとした論拠の引用貼ります)

身内を大切にするのと表裏一体のこのホルモンは、恐らく大昔の縄張り争いや、外的から家族や集落を守るためには有効に働いたことだろう。

だが、大量の集団が地球上で関わりあいながら生活している現代の人類社会で、もし身内の共感の方ばかりが強まり、自分たちの外にいる集団への共感がないまま、オキシトシンの攻撃性の方が働いてしまったらどうなるか。

しかもその攻撃が、身内のためという正義の元で別集団を裁くという行為だとしたら、先述した快楽物質ドーパミンも参戦して、かなり危ない状態の脳みその集団が誕生している事態になるんじゃないだろうか。

ストーリーが世界を滅ぼす』にはホルモンの話は出てこないが、先ほど引用した共感の危うさの話には以下の続きがある。

物語が人々を善悪のカテゴリーに分断する限り、物語は共感の数だけ非情さを生む。物語は共感を生むと同時に共感と正反対のものも生み出す。悪役を押し付けられた相手の人間性に対して、道徳的に麻痺した状態を。

結果的に「自分たち」以外の他者を排除する行為が加速するのと同時に、ためらいも減っていくことになる→更に過激化していくのかもしれない。このクソみたいな融合バグを起こしかねない要素が自分たちにいくつもあるということを、私たちはもっと自覚した方が良さそうだ。

3. ブレーキは故障しがちである

「お墨付き」を得てやりすぎている時、明らかにおかしいことが主流になっているとき、内部からの反対意見が封じられがちだ。出たとしても、なかなか立ち止まれない(そしてそうした記録は、事が終わって省みられる段階になってようやく出てくることが多い)。

「加害の快感」で脳が変質してる?

これまた記事参照。加害行為で快感を覚えることにより脳が変質し、自力だとなかなか止められなくなっているので、然るべき医療機関を頼ってくださいと呼び掛けている。

脳が変質しているのであれば、内部からブレーキをかけるのはそもそも難しいのかもしれない。この辺りも参考文献をもう少し探して掘り下げたい。

自浄作用

例えおかしい行為でも、その集団がうまく回ってしまっている状態ならば、「おかしい」とストップをかけた人がむしろ障害物として排除されてしまうことがある、という話。

汚穢のリズム きたなさ・おぞましさの生活考』は、ざっくり紹介すると複数の著者が「汚い」「おぞましい」と思うものや、それを避けようとする人間について向き合う論考やインタビューを集めた本だ。切り口もジャンルも様々だが、その中で「濁る」がテーマの奥田太郎著『清濁併せ呑む』に、不正の内部告発をした人が不当に扱われる流れについて以下の記載があった。参考になったので一部引用させて頂く。(この自由研究には全く関係ないが、この本は豚の飼育と臭いの話も特に興味深かった)

……そこにある不正は「汚穢」であっても、その「汚穢」が組織の中に存在し続けていること自体は組織の「清潔」を破綻させていないということである。その状態が一定期間保たれると、皮肉にも、その「汚穢」を取り除くことの方が、組織の「清潔」を破綻させる要因になるというわけだ。そして、それを実行した者も組織にとっての「汚穢」となる。

上記は会社などの組織の不正の話だが、同様のことが「お墨付き」を得て暴走する集団にも起きているのではないか、と推測する。排除する側の集団の中に組み込まれている状態で声をあげるには、多分より一層の工夫が必要。

得>損なら自分を守るために迎合する

人間は楽な方にながれやすい。お墨付きを自分で与えやすい「利」が存在している+ストップをかけようとする人は自浄作用で「損」をする、が組み合わされば、おかしい行為=楽して目先の得ができる方に迎合する方に流れやすいのだろうという推測。

またもや『隣人が殺人者に変わる時』の話だが、加害者の証言の中で、虐殺行為に向かう若者を諫めたフツ族の老人を鼻で笑いながら一人が切り殺し、皆で嘲ったというエピソードが出てくる。確かその話の流れだったと思うが、加害者の一人からのこんな発言が続く。

……人は嘲りから身を守ろうとする。だから、自分が嘲る側に加わるんだ。殺しが始まると、嘲笑や侮辱で辛い思いをして傷付くよりも、マチェーテをせっせと使っていた方がたやすいことがわかるだろう。その場にいなかったものには、誰もこの事実を理解できないがね。

実際に集団で「自分たち以外」を排除しているのだから、排除される側に追いやられるかもしれない恐怖もなおさら強くなるのかもしれない。

人類による排除があまりに行きすぎると「天災」のように眺めてしまう

先日溢れかえった本棚を整理していたら、『ツナミの小形而上学』が出てきた。大昔に読んだので細かい部分は忘れてしまっているのだが、一つとても印象に残っている記述があるのを思い出した。

人類によってもたらされた「災禍」(本の中ではアウシュビッツや原爆投下などをサンプルにあげていた)が理解の範疇を超える規模だった場合に、人はそれがまるで津波などの自然災害のように受け止めてしまうことがある、という話だ。

これは自戒も含めて書いているのだが、歴史を後から振り返る時だけでなく、現在進行形で排除が起きている時に、外部から見ている集団にも言えるのではないだろうか。凄惨な映像に呆然として早く止むことを願う時、どこかの国で地震や大規模なハリケーンが起きた時と似たような感覚になっていないだろうか。

天災は止められないから早く止むことを願いつつ国境なき医師団かどこかに寄付するしかないかもしれない。とはいえ防災技術とかで被害を軽減させたり、逆に災害発生後の政府の対応が後手すぎて被害が増えてしまったりと、人間の手で防げる部分ももちろんある。

だが人類による他集団への排除は発生から収束まですべて人類によるものだ。でもどこかの集団が他の集団を排除しようとする動きがあまりにも過激なとき、例えそれが現在進行形で起こっていると分かっていたとしても、呆然と天災のように眺めてしまい、外部からのブレーキもかかりにくくなってしまうことがあるんじゃないだろうか。

けれどもそれは「罰せられない」=お墨付きを得た行為として、暴走する集団を更に後押ししてしまう要因になる恐れがある、とも思う。

楽な方(正当化)に流れる?

これは村田沙耶香の小説『世界99』(集英社, 2025)を読んでいてフワッと思い付いたポイントなので、もう少し深く考えたい。あと考える材料がもっとほしい。

4.では、どうすれば防げるのか

これが一番難しい。歴史上あれだけ色々な頭のいい人が考えていながら現代の人類はコノザマなので。

正直一生わからない可能性の方が高いが、とりあえず現時点での自分なりの考えや仮説を置いておく。

とりあえず人類は愚かであることを皆もっと自覚した方がいいと思う

いきなり主語のデカい暴言から始めてしまったが割と真面目な話、みんなニンゲンの理性とか意識をかなり過信してしまっているのではないか? というのがずっと気になっている。

人間は思ったよりも全然理性的ではないし、理論的でもない。

先述の通りドーパミンやオキシトシンに振り回されるし、目先の楽や利に流れる。脳の構造的にヒューマンエラーは自力では避けられないし、記憶も意外と当てにならないから青い車を目撃していても「車は灰色でしたか?」と訊かれたら「そうかも」と証言してしまったりするそうだ。自分が何をするかの決断は自分の頭で考えているようで、実は脳が既に決めたことに後追いで理屈をつけているだけだという話もある。中学の授業で見たクラスター爆弾のドキュメンタリーで、開発した科学者の一人(もちろんたいへん賢いはず)が「開発はしたが実際に人間に使うと思っていなかった」とか大真面目に言っていて「????」となったくらいにはぜーんぜん論理的じゃない。(そりゃ「ある」なら使うだろうよ、インテリアにでもすると思ったんか?)

航空会社や空港だと、ヒューマンエラーは起こるものとして割り切っていると聞いたことがある。鉄の塊に人命を大量に乗せて空を飛ぶために、離陸や着陸に関して「ここを過ぎたら事故になる」という点より前からストップを段階的にかけられるような仕組みやマニュアルに落とし込んで、ヒューマンエラーが起きても早期にリカバリできるようにしているそうだ。

人間の精神とか善性とかについても、過信しすぎずに本当に破っちゃいけないところの数段階前くらいから、「お墨付き」とは独立した安全装置をかけておいた方が良いのかもしれない。特に「自分たち以外」に対しての加害性については、よほどの超人でない限りはヒューマン如きのメンタルで抑えられないと思っていた方が良さそうだ(だからといって個々人が最初から諦めとけという話ではないとは思う)。

ヒューマンのいち集合体を「全員の座席にアクセルとブレーキがついている教習所の車Lv.EX」とすると、一定数を越えた人がアクセルをベタ踏みすれば大惨事になるし、それ以下の人数の人がブレーキを踏んでもなかなか止まれない。「突然車の中の半数以上が手の届く場所にある安全装置を勝手に外して酒盛りを始め、そのままの勢いでアクセルベタ踏みドリフト煽り運転をはじめるかもしれない」くらいの想定で外しにくい安全装置を付けておいた方が良いし、今ある安全装置を外すことについては本当にもっと慎重に考えた方が良いのではないか。全乗員を巻き添えにして他の車や通行人を多数跳ね飛ばした挙句に壁とかに激突させるおつもりか。

他人が独立した尊厳のある別個体であると考えるようにする

これは多分人権という話にもつながっていくのだろうが、この段階ではまず「自分の身を守るためにも」という話をします。高尚な話でも何でもない。私は自分が人間如きの暴走のせいで死ぬような目には合いたくないし(かといってヒグマなんかに殺されるのも嫌だが)、無責任なので自分の愚かさにより誰かの死の責任を負いたくないからこの話をしている。

特に権力やパワーのある人が先導しているタイプの「お墨付き」のもと自分たち以外を排除する集団に入っている人たちや、それを黙認する人々のケースの対抗手段になるかもしれない(様々な属性の人たちを排除していったナチスドイツについてよく見かけるニーメラーの話とかを思い浮かべてください)

そういったケースで排除を称賛したり黙認したりする発言を聞いていると、「自分は排除されるリスクなどない」と本気で信じているのかな、と気になることがある。

一個人は一つのレイヤーで綺麗に分類されるのではなく、複数のレイヤーの属性を持つ独立した存在なので、現在収まっている集団で絶対的に皆同じということはあり得ない(ここらへんはキム・ジヘ著 尹怡景 訳『差別はたいてい悪意のない人がする』にも書いてあったはず )。また、歳をとったり移住したり病気になったり怪我をしたり、一生同じレイヤーに居続けることもない。

だから今とある属性Aの集団として属性Bへの排除に加担しているなかで、ある日突然あなたのもう一つの属性であるCとして排除されるリスクも普通に存在しているはずなのだが、そのことをあまり自覚せずに排除に荷担している人がいるようにみえる。

(注:例え排除まではいかずとも、きっとどこかのレイヤーについて自覚なしに誰かを差別したり下にみようとしたりする部分は私にもあるのだろうな。自戒。)

他人の考えが自分と同じだとか能天気なこと考えていない方がいい。もしそう思ったならたまたま部分的に重なっている部分が見えているだけだ。

そして自分の尊厳が踏みにじられたり独立性を侵害されないためにも、お互いの尊厳と独立を守るようにした方が安全だ。

だから自分がある日刃物を向けられないためにも、万人の一定の独立性と尊厳を保証し、排除という行為そのものを失くそうという方向にいった方がいい。(もちろん相手が侵害してくることもあるが、だからといって「お墨付き」を得たとして排除すると自由研究は振り出しに戻ってしまう。そういう時に「ただしく怒る」「相手に得にならないと思わせる」ための手段が必要なんだろうな。いいやり方を模索したい)

自由研究以外のメリットだが、これは自分の頭で考えることにもつながっていくし、ローコストで他人に理解や代弁をしてもらうことへの過度な期待や、同じ属性の他人を批判された時にも自分が批判された時のように過剰反応してしまうこと、過干渉などを減らすことにもつながるんじゃないだろうか。

次の課題:じゃあどうやってその考え方を実現させて浸透するんです??

「お墨付き」に対抗する手段

「嘲り」や排除を恐れて内部でストップをかける行為を踏み留まることがあるなら、逆に「嘲り」への恐れで踏み留まらせることもできるのではという仮説。要検証(大勢が「ダサい」行為として認識する。笑いがカウンター? 諸刃の剣?)

5.それで、今起きてしまっている人類の排除はどうやって止めるんですか

@zenkichib
万物の初心者