四谷見附

zerosant
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「見附」というのは、簡単にいうと城門のことだ。遠くから敵を見つける役割があったことが由来らしい。

上京して1年目の頃は、四谷見附のあたりをよくうろついていた。江戸城には江戸城三十六見附と呼ばれる36箇所の見附がある。一番有名なのは、駅の名にも残っている「赤坂見附」だろうか。四谷見附から赤坂見附の方向へ南下する道は、大東京の中に歴史を感じられるお気に入りの散歩コースだった。

上智大学の四谷キャンパスと真田堀グラウンドに挟まれる道は、江戸城外濠の最西端にあたる。ソフィア通りを抜けると、有名なホテルニューオータニに行き当たる。東に折れると紀尾井坂。紀尾井坂の名の由来は、江戸時代にこの付近にあった藩邸の頭文字から取られている。ソフィア通り沿いには尾張徳川家、ホテルニューオータニのある場所には彦根藩井伊家、清水谷公園付近は紀州徳川家がそれぞれ屋敷を構えていたそうだ。

紀尾井坂という地名は、日本史の教科書にも載っている。1878年(明治11年)に大久保利通が暗殺された、紀尾井坂の変だ。大久保利通は明治天皇に謁見するために赤坂仮御所(現赤坂御所)に向かっている最中、不平士族に襲われ殺害された。紀尾井坂から南に折れたところにある清水谷公園には「大久保利通終焉の地」と刻まれた石碑がある。

四谷見附の付近は、一見すると跡形もなく都市化されているように見える。しかし往時の面影は残っている。それは巨大な江戸城外濠の隠しきれない存在感と、散在する見附跡の無骨さから感じ取ることができるものだろう。さらには大事件の現場として歴史に名を刻んだ紀尾井坂という地名が、道ゆく私に歴史の香りを焚き付けてくれる。

大久保利通がどの場所で暗殺されたんだっけな、ということをいつも考えながら清水谷を南下して、赤坂見附でラーメンを食べて地下鉄で帰る。ラーメンはうまい。