たとえ胸の傷がいたんでも

人生
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今日も今日とて、妊婦をやっている。お腹にいるらしき子がちゃんと生きているかどうかもわからず正直毎日不安だが、少なくとも次の検診日までは生きてると信じて妊婦をやっていくしかない。

ちょうどGWに入ったあたりからつわりが始まり、毎日朝晩の吐き気に見舞われている。最近は吐く一歩手前のえづきも頻繁にあって、多分そんなにつわりが重い方ではないだろうが、中途半端な体調なので仕事を休む判断が難しく毎朝どうしようか迷っている。今のところは空腹でなくて椅子にじっと座っているだけならえづきも無いので、調子が悪くても一応出勤するようにはしているが。

妊婦ってみんな、こんな体調悪くしたり食べられるものや薬の制限を受けて、その上で人間を産もうとしているのかと思うと、世の中の経産婦に畏怖の念を感じずにいられない。というか、自分も妊婦でありながら思うが、どうしてこんな思いまでして子を持とうとするのだろうか。

わたしは4年ほど前に結婚し、なんとなくそのうち子どもを産むだろうと思っていた。結婚する前は、もし自分が結婚しなくても、産めなくても、特別養子縁組で子を持つことが出来たらいいな、とか漠然と思っていた。

その割に、特別子どもを育てたい強い気持ちや理由を持っていなかった。そして正直妊婦となった今も持っていない。以前はそんな軽い気持ちで子どもを産んだり育てたりしていいものだろうかと、子どもを欲する強い気持ちや理由を自分の中にずっと探していた。

でも頭で考えて簡単に思いつくのは、子を持つ理由よりも、産まない理由、子を持たない理由ばかりだった。今後この国で幸せに暮らしていける保障はないとか、子を産んだら自分の人生の一部はどうしても犠牲になるとか、障害を持って産まれてきたら大変かもとか、何かあったら路頭に迷わせてしまうかもとか。そもそも子どもの扱いがわからないとか、子育ての話を聞いてると大変そうだとか、出産が怖いとか。子を持つことのリスクばかりが頭に浮かぶ。

納得のいく答えは出ないまま、でも年齢的にそろそろ、といわゆる妊活を始めた。ちょうどその頃、子持ちの友人と会う機会があったので、ひとつ質問を投げかけた。子を妊娠した時、どうしても子どもが欲しいとか、強い気持ちや理由があったか?と。今や愛情深く子を育て、子どもに尽くす日々を送っている彼女は、「全然そんなの無かった」と答えた。むしろ子どもは持たなくていいと思っていたけど、どこかのタイミングでなんとなく子を持ちたい気持ちになって、試みたら授かったのだと。

もしかしたら、みんなそんなものなのかもしれない、と少し肩の力が抜けた。とりあえず(今のまま働き続ければ)子を育てられるだろう経済状況で、夫婦がともに、なんとなくでも子を欲していればそれでいいのかも。

と、ちょっと気が楽になってからすぐ、幸運なことにわたしも妊娠した。そんなにすぐに妊娠できると思っていなかったので、ほっとしたし、やっぱりとても嬉しかった。

妊娠してから、「自分の子に何をしてあげたいか、させてあげたいか」をよく考えるようになった。とは言っても、バイリンガルに育てたいとかそういうことじゃない。

青空を見てきれいだと思ったり、ご飯を食べて美味しいと思ったり、物語を読んで夢中になったり、家族や友達と楽しい時間を過ごしたり…そういうことを普通に楽しんで欲しい。そうさせてあげたい。

そしてふと、わたしが子どもを育てたい理由ってこれかも、と思った。日常にある些細な生きる歓びを、感じて欲しいのかも。生きるのは歓びだから、きみも早くこの世に産まれておいで、と思っている。こうして言うとなんだか出生主義の布教者みたいだけと。

実際、わたしは出生主義なのだと思う。勿論常に生きるのが楽しい!って訳ではなく、死にたくなるようなことは人生で何度もあるし、何となく「今このまま消えてなくなったら楽だな」なんて思うことは日常的にある。でも、生きることを良いことだと思えるように、生きる歓びを感じられるように、家族や社会に育てて貰った。もしかしたら、社会への恩返しというか、貢献したい気持ちもあるのかもしれない。

アンパンマンのマーチでも生きる歓びって言ってるし、宮崎駿も「この世は生きるに値する」と言っている。わたしもそういう一派(そういう一派?)なのだ。生きる歓びをお腹の中の君にもいつか感じてもらいたい。たとえいまつわりがつらくても。

@zinesay
夕飯日記