偉大なる

人生
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公開:2024/7/20

妊娠5ヶ月、いわゆる安定期に入った。腹の子は順調に育っているようだ。つわりもまだわずかにあるがほぼ落ち着き、やっと自分の身体のコントロールが自分の手に戻ってきた感じがある。しばらく毎日生活していくだけでへとへとで、日記を書くのも久しぶりだ。

冒頭の写真は私が腹で子を育てている間に夫がバルコニーで育てていたオクラである。茹でてわかめと一緒にポン酢で美味しく頂いた。

実は安定期に入る少し前、いわゆる出生前診断(NIPT)を受けた。元々は受ける気が無かったのだが、実母の勧めによって受けることにした。3種の染色体異常についての検査をし結果は陰性で、メジャーな染色体異常はひとまず無いだろうということだった。

私の兄はまさに染色体異常の代表的な疾患であるダウン症で、母が33歳の時に産まれた。私は母が43歳の時に産まれた子だが、目に見えて大きな障害は無かった。そうしたこともあって、正直1〜2年前はこう思っていた。「若くても、もし妊娠したら、出生前診断を受けよう。私はまだ産まれてもいない胎児に愛情を感じられるような優しい人間ではないし、知的障害のある子を育てられる自信がないから、そうだとわかったら中絶を選ぶだろう。」と。

ただ、少し前から、福祉に関連した仕事などを通して、出生前診断の本来の目的を知ったり、染色体異常以外の様々な障害について知ると、少し考え方が変わってきてもいた。出生前診断は産まれてくる子に必要な療育を産まれる前から考え備えることが出来ることや、染色体異常による障害の他にも、自閉症などの障害に伴って他者によるコントロールが困難な強度行動障害等が起こりうることなど…。染色体異常が無かったとしても、他の障害を持って産まれてくる可能性は当たり前にあるし、いっそダウン症の方が対処しやすいということもあるだろうと、単純に思った。兄の姿を見ていたからというのもあるのだろう。私の兄は割と穏やかで、人が多いところや、誰かが叫んだり暴れたりしている空間は苦手だ。家の中でごくたまにちょっと大きな声で我儘を言うことはあるが、母に叱られればそれで終わり、くらい。そもそもダウン症は穏やかな性格の人が多い傾向にあるらしい。勿論そうじゃない人も居るだろうし、個人差はある。

多分、平均的な妊婦よりは、少しばかりの知識があった。そんな中で、自分も妊婦となった。検査そのものはした方がいいかと最初は思っていたが、腹の子が日々育っていき、毎日「今日もちゃんと生きているのか」と心配して過ごしているうちに、出生前診断をする必要は無いのでは、と思うようになった。これが愛情かと言うと微妙だが、もし障害があったとわかったとして、中絶出来る気がしなかったのだ。どうせどちらにせよ産むのなら、高いお金をかけて検査をしなくてもいいかと思った。

夫も同意見だったので検査は受けないことにして、産院でのNIPTの検査可能時期を過ぎた頃、実母から連絡があった。「出生前の血液検査があるでしょう、あれは受けたの?お兄ちゃんのこともあるから、受けた方がいいんじゃないかと思って心配になって。受けるなら費用も出すから◯◯さん(夫)と話してみて。まだ中絶出来る週数ではあるんでしょう。」と。

正直、私はこれに内心とても戸惑ってしまった。本当のところ、検査を受けないと決めた理由の中に、兄や兄を懸命に育てた母への負い目もあったのだと思う。

検査を受けて中絶するかどうか判断するということは、兄の存在をジャッジすることに繋がるのではないか。そしてそれは、兄を愛情持って育てた母が悲しむことなのではないか。そういう気持ちがあったから、出生前診断のことを母には一切相談してこなかった。

もしかしたら母も複雑な思いはあるのかもしれないが、母は「それはそれこれはこれ」と割り切っているようだった。自分の苦労やそれを大事にする気持ちを押し付けず、私が苦労しないことを考えてくれて、かつ最後の判断は我々夫婦に任せてくれたことが有り難かった。

私の母は先述したように43で私を産んだので、もう70代も後半に差し掛かっている。この歳で、こうあれるものだろうか。我が母は私にとっては本当に「偉大なる母」だと改めて思った。

その後、何とも優柔不断だが「そう言われてしまえば心配は心配だし…」と思い始めてしまい、夫と再度話し合って、通院中の産院ではもう受けられる期間を過ぎたので、別のクリニックでNIPTを受けることにした。正直、検査結果が陽性だったときにどうするかの決断は出来ていなかった。

採血をして2週間程度で結果が出たが、正直その間、色んなことが頭の中を駆け巡っていた。陽性だったとしても産みたい方向に傾いているが、おそらく夫の家族はあまりよく思わないだろうし…とか、でもそれで中絶を決めるなんて責任逃れでは?とか、そもそも障害の有無で産むか殺すか決めることは優生思想そのものじゃないか、でもじゃあ自分に障害のある子が産まれて歓迎して育てられるのか?結局他人事だから優生思想反対と言えるだけじゃないのか?とか…

そうしているうちに日が過ぎ、陰性の結果が出てひとまず、本当にひとまずだが少しほっとした。勿論他の障害がある可能性は変わらずあるが。母に報告もしたが、やはり同じ反応で「とりあえず染色体の障害は陰性で良かった」と返ってきた。流石、よくわかっている。

もうあとは産まれてみないとわからないので、引き続き「出来るだけ健康に産まれて来てくれ〜」と毎日腹を撫でて待つしかない。結局心配は尽きないし、偉大なる母への道のりは遠そうだ。ただ自分ごととして色々考えたことは、自分が経験しておくべき大事なことだったと思うし、今後もずっと考え続けなければいけないことだと思う。

@zinesay
夕飯日記