最近、わたしの好きな人たちが日記を書き始めた。
わたしは元々人の日記を読むことが好きなので、読める日記が増えて単純に喜んでいる。
人の日記はいい。日記は、その人が自身のフィルターを通して見た日常を、その人の言葉を用いて出力したものだ。普段なら人が何をどんなふうに見ているかなんてわかりようがないけど、日記を読むとそれをほんの少し見せて貰えてるような気分になる。
そうして人の日記を見ているうちに、わたしも書いてみようかな、と思い始めた。
日記といえば、土佐日記の冒頭ってそういう感じだったかも。男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
わかる。人が素敵なことをしていると、つい真似したくなってしまうものだ。
もちろん、土佐日記の作者である紀貫之は女性のふりをして土佐日記を書いたので、この冒頭の一文はフェイクというか、紀貫之自身の気持ちそのものではない。
でも、当時女性が使っていた「かな文字」を使って文章を書きたかったのだから、きっと「女が使ってるかな文字って素敵すぎ。自分も真似してかな文字で文章書いちゃお」とか思ってたんだろう。
さて、話を元に戻して。ともかく日記を書いてみることにした。
でも、日記って言っても何書こう?
毎日朝起きて仕事行って帰って夕飯作って食べてお風呂入って寝るだけだし、書けることある?休日なら多少書くことあるかもだけど。
書くこと無さすぎて続かないかも。頑張って続けられたとして、毎日同じことしか書けないかも。
とにかく始めるだけ始めてみればいいものを、そんな風にぐたぐだと考えていた。
そしてふと、いっそのこと「毎日あるけど、毎日ちがう」ことをメインにしたらいけるんじゃないか…?と思いついた。
それはずばり夜ごはんのことだ。
なんとわたし、毎日働いて19時ごろ帰ってきてはちゃんと前日と被らない夕飯を作っているのだ。
流石に365日異なるご飯を作っているわけではないけど、少なくとも1週間のうちは違うご飯を作っている。偉すぎる。自分に拍手を送りたい。
という訳で、毎日の夕飯づくりまたは夕飯に食べたもののことをメインに、日記を書いてみることにする。
勿論外食することもあるので、その時は食べたもののことや行ったところのことを書こう。
これなら、変わり映えのない日々でも必ず書くことが出来る…筈だ。
飽きっぽいので自信は無いけど、やれる範囲で緩く続けられたらいいな。